Birthday Cake
1. Clockwork 105s Orange

レンが、ストップウォッチをONにする。
警備会社が来るまで、105秒以内。
犯行は、それまでに完了させる。

防犯カメラに、二人の黒い影が写った。
バールで、ドアをこじ開けると、警報が鳴る。
時刻は、深夜1時を回る。
シオンが、バールでこじ開けたドアが、
歪つに折れ曲がり、
「15、16、17、18・・・」と、
レンは、口に出してカウントを取る。
Siriのように無機質な、その声色は、上ずっている。

元々、口数が多い方じゃなかったレンは、緘黙症になってからは、全く喋らなくなった。
シオンは、レンが、喋っている所を、見る事自体、久しぶりだった。
レンは、もう14才になるのに、その体からは、いつもミルクの匂いがした。
緘黙症になる少し前から、よく部屋に引きこもるようになった。

レンが緘黙症になってから、シオンには、レンが何を考えているのかが、よく分からなくなった。
『人の心も、バールで無理矢理、こじ開けられたらいいのに』と、シオンは思った。

果てしない沈黙の中を、生きているレンにとって、今夜は久しい世界との接触だった。

ストップウォッチ内に、デジタルで表示された秒数が、積み重なっていく。

二人が装着した、覆面マスクからは、目と口だけが、見えている。
まだあどけない目をしているレンとは違い、
シオンは、威圧的な一重マブタに、キレ長の目をしている。

室内に侵入する。誰もいない事務所内の空気は淀んでいる。
頭に装着してる、LEDライトだけが、行き先を照らす。

「44、45、46、47・・・」

金庫は、福沢諭吉が眠っている寝室。
その人物が、何を成し遂げた人物なのかを、シオンはよく知らない。
金庫の鍵穴に、ハンマーを向ける。鈍い轟音。
それは小さな雷を、手の中で鳴らしたような、音だった。
ぶっ叩くと、振動が、腕に伝わって来て痺れる。
金庫が開くと、ギィーという音がする。
シオンの、流れ作業のように慣れた手つきが、これまで何度も、この犯罪を繰り返して来た事を、伺わせる。

福沢諭吉の束を取り出しながら、
こんな物があるから人は狂うと、シオンは、思った。
『まだ金が無かった頃の世界の方が、人はもっとまともだったはずだ』
そんな事を思いながら、シオンは、札束をバッグに突っ込もうとした。
その時、お札に描かれた、諭吉と目が合った。
福沢諭吉から見える景色。
人間の卑しい表情を、今まで、どれくらい見てきたんだろ?とシオンは、ふと思う。

「69、70、71、72・・・」

遠くの方から、パトカーのサイレンが聞こえた。
その音は、静まり返る世界の静けさを破る。早過ぎる警察の登場。
これには、いつも冷静なシオンも、冷や汗をかいた。


「走れ!」
札束をバッグに突っ込んだシオンは、そう言うと、路肩に駐車した車の方へと走った。
レンも、それを追いかける。
1秒間が、永遠のように感じる。
車に乗り込んだシオンの目に、レンのスニーカーの靴ひもが、ほどけているのが見えた。
まだ母親が居た頃に、買ってもらった靴を、ボロボロになっても履き続けている。
生まれた時から居なかった父親。
そして、母親までもが、一年前から帰ってこなくなった。
それ以来、シオンは、ずっと心臓の上に、スコールが降ってるような感じがした。
そのスコールは、トイレットペーパーの塊が、水に溶けて消えていくように、絶望を心の中で、ゆっくりと溶かしていった。

街は眠っている。筆圧の濃い夜の闇。
その上を、能天気そうに月が浮かんでいる。
シオンには、夜の暗闇が、汚れた雑巾を絞った時に出る、どす黒い水のように見えた。


真夜中の国道は、車がほとんど走ってない。
レンが、後部座席に乗り込むと、シオンは、乱暴にエンジンをかける。二人の体に重力がかかる。アスファルトとの摩擦で、タイヤのゴムが焦げつく音がする。
二人を乗せた車は、アクセル全開で、赤信号を無視して突っ切った。

シオンは、バックミラーで、後方を確認する。パトカーが、背後を陣取っている。その現実に、目を背けてしまいたくなる。振り返りたくもないと思うのは、シオンの過去と同じ。

大量の汗で、シャツが車のシートに張り付くのが、分かる。
メーターは、100キロを振り切れる。
サイドガラスに映る景色が、高速で後ろに吹っ飛んでいく。

その時、シオンにはパトカーのサイレンが、赤ん坊が生まれた時にあげる、産声のように聞こえた。
明日になれば、何事もなかったかのように、また静かな夜がやってくる。

後ろでレンが、怯えているのが、シオンにも伝わって来る。
「兄ちゃん、ごめんよ・・」
そう謝る、レンの声は震えていた。
とっとと帰って眠りてえ、と思いながら、
シオンは、こう返答した。

「黙ってろ」
それが、シオンとレンが交わした、最後の会話だった。

2. Birthday Cakeless


稲村家(いなむらけ)の子ども達は、 誕生日にバースデーケーキが、一度も出た事が無い家で育った。
3人は、それが普通だと思っていた。

シオンの記憶が始まったのは、3歳の時からだ。
まだ赤子だったルカが、ママに抱かれて泣いていた。
そんなルカも、今では15歳になった。

ある日、長女のルカは言った。
「ママが帰って来ないの」

少しの沈黙の後、素っ気ない態度で、シオンは答える。
「いつもの事だろ?」

シオンは、まるで他人事のように、刺がある言葉を続けた。

「アイツが何日も、帰って来なくなるなんて」

シオンを見ていると、いつもルカの心は、ざわついた。
床には、一度も開いてないシオンの教科書が、投げ出されていた。
その教科書を、一度も開く事なく、シオンは一年で高校を中退した。
それからは、バイト先を転々としながら、荒れた生活を続けた。

ママはいつも朝方帰って来て、化粧をしたままの状態で、大きく口を開けながら、ソファーで眠る。

年がら年中、顔はむくんでいて、目尻にはシワがくっきりと、浮き出してて、口元には、ほうれい線が刻まれ、頭に目を移すと、茶髪に染めた髪の毛の中に、ちらほらと、白髪が見える。
そして、お腹周りを中心に、たるんだ肉がついている。

ルカは、将来、ママみたいにならないようにしようと、心の中で、必死に抗っている。
だけど、時折、出る言動や態度が、ママに似ていて、よく自己嫌悪に陥った。
誰も遺伝子に、逆らう事は出来ない。
顔も、昔見せてもらったママの若い頃の写真に、そっくりだった。

ずっとママが座ってた、ソファーのマットレスは、完全にママのお尻の形に、凹んでいる。
まるで、今も透明人間が座ってるみたい、とルカは思った。

ママが男を家に連れ込む時は、3人の子供達を、
「遊んでおいで」と外に出す。
3人は、物心がつくまで、全ての家がそうだと思っていた。
それぞれが、時間を潰して帰宅する。
男が帰った後の家は、空気が濁ってて、獣のような臭いがする。
その臭いに腹を立てた、シオンが、ママに向かって叫ぶ。
「もうこれ以上、ガキ増やすなよ!足伸ばして寝る事すら出来ねえんだぞ!」


シオンが帰って来たら、足音で分かる。
ルカとレンが、静かな足音なのに対し、シオンは、床を蹴飛ばすような、けたたましい足音を立てる。
その乱暴な性格が、足音に現れている。


半世紀前からある、ボロい市営団地。
床には、脱ぎ散らかされた衣服。
常に敷きっぱなしの敷布団。
流し台に置いてある皿やコップからは、カビが生えている。
こんな家、恥ずかしくて、友達を連れて来れないと、ルカはずっと思っていた。

区切る壁もない、1LDKの団地の一室。
それぞれが心に、区切る壁を作った。


それが顕著に表れていたのは、昨年、ランドセルを卒業して中学に上がった、次男のレンだった。
家に居る間は、常にヘッドホンを装着して、全てをシャットアウトする。
何を話しかけても、返事をしなくなったレンはを、一度医者に見てもらうと、緘黙症だと診断された。
レンが声が出せないんだと知ると、シオンとルカは、話しかける事すら辞めてしまった。

起きてからトイレで、小便をするシオンの視界に入ったのは、生理が来るたびにママが、便器の周りに撒き散らした血の跡だった。
その時の血痕が、まだトイレの壁にこべりついてる。

起き出して来たルカは、ママが帰って来てないから、家中を探し回った後、シオンにこう言った。

「一生帰って来なかったら、どうしよう?」
夜通し泣きはらしたのか、ルカの目の周りは、パンパンに腫れている。

郵便受けには、公共料金の明細書が詰まってる。

シオンは、舌打ちをした。
何もかもが、めんどくせえ、と思った。
ルカの言う通り、これは、一生帰って来ないだろう。

「一緒に探しに行かない?」

シオンは、タバコに火をつけながら、その提案を一蹴した。

「冗談だろ?アイツは男と出ていったんだぞ!?もう母親でも何でもねえよ!!」

シオンと話していると、ルカの脳はずっと、
高圧電流に、直に触れてるみたいに、痺れそうになった。

レンは、もう起きているのに、布団から起き出そうともせずに、横になったまま、耳に挿したイヤホンで音楽を聴いている。

二人の怒鳴り声が、レンが聴くイヤホンの音楽に割り込んで、レンの心は、いよいよ忙しくなった。

「だけど家族よ?」

シオンは、その言葉を、呪いの言葉のように感じた。
別に好き好んで、この家族になったんじゃない。
ランダムで決定されただけ。
だから、知ったこっちゃねえ。
そんな言葉を吐いた後、シオンの心は、千切れそうになった。

激情に任せて言葉を吐けば、後で冷静になった時に、後悔が襲う。
頭では分かっているが、シオンは、自分を抑える事が出来なかった。

「何が家族だ?たまたまこんな最低な家に生まれただけだろ?こんな家族、誰も望んでねえのに!」

シオンが右手に持ったタバコの先から、灰が落ちる。

ルカは、その言葉を、額面通りには、受け取らなかった。
いつだって、誰よりも、家族の事を愛してるのは、シオンだった。


ママが使用していた、スマホのディスプレイ画面には、たくさんのヒビが入っていた。
あのスマホのように、ママは家族間にも、たくさんの亀裂を入れて、去っていった。

シオンは、参観日の日の教室のように、背後からずっと、誰かに見られている気がした。
その視線の正体はレンだった。
背が高いシオンとは、対照的に、レンは、背が低く青白い顔をしていて、二人に視線を向けながら、泣きそうな表情を浮かべている。
それは、無言の絶叫だった。
二人には、レンの悲鳴が聞こえたような気がした。それは、どんな言葉を並べ立てるよりも、有弁だった。

付けっぱなしになってるテレビでは、天気予報が、明日の雨を知らせてる。

シオンは、吸っていたタバコを、空き缶に押し付けた後、ママが冷蔵庫に残していった発泡酒を、取り出して、飲み干した。
ママには、頭すら撫でられた記憶が無いが、アルコールだけは、細胞を撫でてくれる。

「ここで、うだうだ言ってても、しょーがねえだろ?」

シオンは、ブルーのフード付きパーカーの帽子を被り、キレ長の目を覆い隠す。
その下にある鼻先は鋭くて、鋭利に突き出していた。

「オレがなんとかする」

歩くと、床のフローリングが軋む。
いつも誰かが落とした、カピカピになった米粒を踏んだ。
その肩には、ルカとレン、二人分の重圧がのし掛かる。

玄関のドアを開けると、いくつもの工場が見える。
このまま社会に出て、あそこで一生働いて終わっていく。
そんな未来を想像するたびに、シオンは、気が狂いそうになった。
目を閉じれば、現実を、全てシャットアウト出来る。
シオンは、目を閉じながら、外を歩く。
まだ夕方なのに、真夜中みたいに感じる。

シオンと同じく、高校を一年の途中で、中退した門脇に、街でばったり再会したのは、少し前の事だった。
久々に街で会った門脇は、以前は短髪だったのに、髪は伸び放題になっていて、口元には髭を蓄えていて、まるで原始人のように見えた。

「お前、何で学校を辞めたの?」

シオンが尋ねると、
門脇は、歯を見せて一笑した後、こう答えた。
「教室でじっと座ってるとな、急に叫び出したくなるんだ。生きながら死んでる感じがしてさ。
・・あれは、ある種の死だな」

門脇の服装は、高価そうな黒のスーツに、黒いシャツ。
その上からは、金のネックレスをしている。
『こいつのどこに、そんな金が?』と、思ったシオンは、そのまま、「ずいぶん、羽振りがいいみてえだな」と、門脇に言うと、門脇は、歯茎を剥き出しにして、笑いながら、パチンコのゴト師や、金庫強盗で儲けていると言い、「お前もやらねえか?」と、シオンを誘った。

あの時、シオンは、気乗りしなくて断ったが、今となっては事情が違う。
あの日の別れ際、門脇と交換した連絡先に、電話をかけた。
12コール目で、門脇が出る。
その声は、今、起きたばかりだというのが、伝わってくるような、寝起きで発せられる、気怠そうな声だった。

「今、起きたのか?」

門脇は、まだ夢の中から、完全に脱し切れていないのが、電話口からでも伝わってくる。
「・・お前に起こされた」

シオンは、ため息をついた後、いきなり本題を切り出した。
「門脇。今すぐ金がいる。・・何か仕事あるか?」

まだ半分寝ている門脇に、事情を分からせるのには、骨が折れた。
事の次第を、ようやく理解した門脇は、「とりあえず、うちに来てくれ」と言い、電話を切った。

シオンは、急ぎ足で歩く。もう一秒も無駄になんか、してられない。
季節は三月で、桜が咲いていて、その横を横切るシオンは、もう、それを一度も見上げる事も無い。そんな暇なんか無い。
時計の針ですら、秒針と分針が追いかけっこしてる。


門脇が暮らすマンションのドアには、鍵が掛かっていなかった。
そのドアを開くと、もう後戻り出来ない。
人生には、そんなドアが幾つも存在する。
その時、シオンが手を掛けたドアも、その一つだ。
シオンは、どんどん自分が壊れていく感じがした。それを修理しないまま走ってる。たくさんの、部品を落としながら。
また、ガキの頃のように、何も考えずにぐっすりと、眠りたいと、シオンは、思った。
そんな日は来るんだろうか?
クーラー全開で眠った次の日の朝のように、体が冷たい。

門脇の家の玄関に、足を踏み入れる。
門脇の部屋からは、アルコールと、タバコの副流煙の臭いがした。
床には、ゴミが散乱している。
玄関から、リビングのソファーに座る、門脇の横顔が見える。
その向こう側にあるベランダでは、夕焼け空を、カラスの群れが埋め尽くしていた。
門脇は、眼球だけをシオンの方に向ける。


付けっぱなしのテレビでは、スペースシャワーTVの『DEEP MUSIC ZONE』が流れている。
そこに映るラッパーのMV。
誰もいない夜の街を、一人で歩きながら、ラップしている。
それを見たシオンは、レンもあんな風に、誰も居ない場所では、たくさん喋ってんだろうか?と思った。

静かなレンと一緒に居ると、まるで世界から音が消えてしまったかのような、錯覚に陥る。



3.Smoking Gun



「どこに行ってたの?」

ルカは心配そうな声を、シオンに投げかける。

「うるせえ」

シオンは、伸びっぱなしになった髪を、ブリーチで茶髪に染めた。
着ている服は、汗だくになってて、タバコの臭いがする。
そんなシオンを見て、ルカは、ため息をつく。

「ずっと帰って来なくて、心配したんだから」

帰り道、シオンは、絵の具の色を全てぶちまけたような、吐瀉物を見た。
あんな色のゲロ、何を食ったら出んだよ?と、シオンは、思った。

「オレまで、アイツみたいに、消えると思ったか?」

「そうじゃないけど・・」

シオンは、ポケットからおもむろに、札束を取り出し、それを乱暴にテーブルの上に投げた。

「これで、上手い事やっとけ」

見た事もない札束に、ルカは、たじろいだ。

「こんな大金・・、どうしたの?」

シオンは、めんどくさそうな表情を浮かべて、
「どうだっていいだろ?」と、答えた。

そこへ、耳にイヤホンを差しっぱなしにした、レンが現れる。
二人の顔を交互に見て、観察している。
目つきが悪いシオンとは違い、まん丸い目に二重マブタ。
それは、女子なら誰もが欲しがるような瞳。

三人が一つの空間に集まると、三人ともが、何を喋っていいか、分からなくなった。

こんなにも近くに居るのに、何万キロも、遠くに居るように感じる。

「レンは、全く喋んねえんだよ」

翌日、シオンは、金庫強盗に向かう車中で、門脇にそう言うと、「全く?そうか・・」と、しばらく門脇は、黙り込んだ後、「明日からでも、透明人間がやれそうな奴だな」と言った。

門脇は、落ち着きのない子どものように、常に足を貧乏ゆすりさせていて、手にはライターを持ち、せわしなく着火しては消すを、繰り返している。
その挙動とは対照的に、平坦な声をしていて、いつも薄ら笑いを浮かべている。

門脇は、突然一人で、ケラケラと笑い出した後、こんな話を始めた。
「うちの実家、製氷機が壊れて、ずっと氷が止まんねえんだ。夏にも、雪だるまが作れちまう」

シオンは、門脇と話していると、いつも養分を吸われているような気分になる。
思った事を脳みそを通さずに、全て口にするような人間を、門脇以外に知らなかった。

時おり、門脇は、口の中をもぐもぐさせる事がある。
「ガムでも食ってんのか?」とシオンが尋ねると、「口の横の肉を食べてる」という返答が返って来た。

門脇は、一度ドラッグをやり過ぎて、自らのゲロの中で、窒息死しかけた事がある。

たまに、門脇が虚な目をしている時は、決まって脱法ハーブか何かをやった時で、一度ペットボトルを持ち上げては、横に移動させ、それをまた持ち上げては、横に移動させているのを、シオンは見た事がある。
一度眠って8時間後、目を覚ましても、門脇はまだそれを続けていた。
こんなの、生きながらにして死んでるようなもんだなと、シオンは、思った。

門脇の腕には、青色の血管が浮き出しているのが見える。
その上には、無数の針を刺した後がついてる。

シオンは門脇から「お前もやらねえか?」と誘われた事がある。
「辞めとくわ」シオンは、誘われるたびに、それを拒否し続けた。
目的は金だけ。
頑なに、ドラッグにも、ヘロインにも手を出さなかった。

シオンは、金庫強盗で稼いだ金を、一円も自分の事には使わなかった。
門脇と山分けした後、ポケットに入れた札束は、そのまま実家のテーブルに置きにいく。
ルカの後ろ姿は、どんどんママに似ていくから、シオンは、実家に帰るたびに、一瞬だけ、ママが帰って来たような錯覚に陥った。
犯行の後は、興奮の余韻で、なかなか眠れない。
そんな夜は、睡眠薬に頼り、朝の襟首を掴んで、無理矢理にでも引っ張り出して来た。
何度尋ねても、シオンが金の出所を、言おうとしないので、ルカはもう考えるのを辞めた。
ルカとレンは、その金で暮らした。

仕事は、いつも深夜に行われる。
門脇と二人で、事前に目星を付けていた会社に、車に乗って向かう。
二人は、金庫を破壊する係と、タイムを計測する係。
それを交互に分担した。
今日は、シオンが金庫を破壊する係だ。
最初は、心臓が跳ねるように、ドキドキした。
二回目、三回目と、犯行を重ねるごとに、手際がどんどんよくなっていった。
十回目を超えてからは、完全なる流れ作業と化した。
最近は、ドアノブを回して入る回数より、バールでこじ開けて入った回数の方が多い。
最初は、あんなにドキドキしたのに、今ではもう何も感じない。心が不感症になっていく感じ。

金庫をハンマーで破壊するたびに、シオンは、思った。
この金庫のように、壊れた物は、もう一生元どおりにはならない。人間も同じ。
そこらから先は、壊れたままどうやって生きていくかを、考えるしかない。
いつも犯行現場に、何かを置き去りにしてるような感覚に陥った。
奪う代わりに、何かを失ってるような感覚。
金庫を開けた時の、ギィーっていう音は、福沢諭吉の金切り声に聞こえる。

金を奪った帰り道。
車の運転をしながら、門脇が口を開く。
「俺、さっき幽霊見たかも」

シオンは、『また始まったよ』という表情を浮かべる。
隣町にある家に帰るまで、まだ時間がかかりそうだし、暇だから、シオンは門脇の与太話に、付き合ってやる事にする。

「幽霊?お前って、霊感とかあったっけ?」
そう言いながら、ペットボトルのコーラをシオンは口に運ぶ。喉仏が、上下する。

「ねえよ。初めて見たんだ。
そいつ白色の血液を吐いててさ、世界をまた白紙に戻そうとしてた」

ついていけねえ、とシオンは思った。
「・・何だそれ」
消え入りそうな声が、口から漏れた。

もうすぐ街中に差し掛かる。
シオンと門脇は、同時に覆面を剥ぎ取る。
門脇の頬には、覆面マスクの繊維の跡が付いている。

「多分・・、あの霊はリコさんだ」

門脇は、シオンと組む前に、リコさんという地元の先輩とパートナーを組んでいた。
リコさんは、ドラッグのオーバードーズで、21歳の若さで死んだ。

門脇は、嬉しそうに、
「もうすぐお盆だから、現世に帰って来てんだよ!」と、続けた。
呆れながらシオンは、こう返す。
「今、10月だぞ?」

シオンの家の近所。
いつもこの場所で、二人は別れる事が、日課となっている。
あたりは明るくなってきて、カラオケボックスから、徹夜でオールしたであろう大学生らしき集団が、出てくるのが見える。

門脇もシオンも、順当に進学していれば、あの中に居たのかもしれない。
二人は、彼らを見ていると、自分達が何だか、別の生き物にでもなったかのような気分になった。

しばらく黙り込んでいた門脇が、しみじみと口を開く。
「こんなクソな人生なんか、いつ終わってもいいけどよお・・」
少し間があって、門脇は続けた。
「・・次は何に生まれ変わるかが、問題だよな?」
門脇は、そのまま不安げな表情に変わる。
「・・また俺に、生まれちまったら、どうしよう?」

シオンは、車を降りながら、車中の門脇に向かってこう言う。
「二回目なら、もっと上手くやれんだろ?」

門脇は、笑顔を浮かべる。
それは、まるでシオンの言葉に救われたかのような、慈悲に満ちた表情だった。
そのまま、車は走り去っていく。
その日を最後に、門脇は、消息を絶った。

次の犯行当日。
シオンは、焦っていた。
何度電話するも、門脇とは連絡がつかない。
金庫強盗は、月末の給料を保管している間を狙う為、犯行は今日決行する必要があった。

仲間がバックれる事は、よくある話だった。
シオンは、門脇を諦め、仕方なく、たまたま家に居たレンを誘う事にした。
座って音楽を聴いているレンの肩を叩く。
レンは、シオンの方に視線を移した後、イヤホンを外す。
「手伝って欲しい事がある」

シオンにとって、こんなにも静かな夜は久しぶりだった。
門脇とは、現場に向かう時、『どの女性芸能人のマンコが臭そう』だとか、そういったバカ話ばかりしている。

「毎日、部屋で何やってんだ?」
シオンは、レンに言葉を投げかけた。

レンは、夏休みの流れで引きこもりになった。
学校にも行かず、一日中引きこもって、ますます何を考えているのか、分からなくなった。

レンは、無言で肩をすくめた。
レンがどんな声だったのかも、もうシオンは、思い出す事が出来ない。

シオンは、後ろ髪をかいた後、気まずい空気を破るべく、乱暴にカーステレオをかける。車内に流れる洋楽のBGM。

ブラックのワンボックスカー。
その中で、シオンは、よく寝泊まりした。
今では、実家より、この車中の方が、実家って感じがする。

「いいか?オレが金庫を開けてる間に、ストップウォッチで、声に出してタイムを測るだけでいい」
後部座席に座ってるレンに、シオンは、これからやる金庫強盗の計画を話した。
レンは、その話を聞きながら、尿意を我慢してる時のように、そわそわしてる。
現場に到着すると、「被れ」とシオンは、覆面マスクをレンに手渡した。
「・・分かった」
シオンがレンの声を聞くのは、久々の事だった。

受け取った覆面マスクを被る直前に、緊張で強張った表情と、少しだけ潤んだ瞳が見える。
それが、シオンが見た、レンの最後の顔だった。

車から降りたシオンは、慣れた手つきで、バールとハンマーを、トランクから取り出した。
自分の唇が乾燥してるのが分かる。まるで唇が、セミの抜け殻と、同じ素材になったみたい。
頭に装着したLEDの光が、行き先を照らす。

シオンの動きは、水墨画を描く時の筆のように滑らかで、レンは、ついて行くのに、必死だった。

レンは、喋らない代わりに、一つ一つの物たちに、話しかけてるように触れた。

シオンに渡されたストップウォッチに、手をかけるレン。
シオンには、その時のレンが、まるでストップウォッチの声を聞いてるみたいに見えた。

レンがストップウォッチをONにする。
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