桜田課長の秘密
どうせ気まぐれで書いた小説があたって、作家というステイタスが手放せなくなった……そんなところだろう。
けれど課長は、ことのほか真剣な顔をして首を振る。

「いずれ会社は退職して、作家一本でやっていくつもりです」

「えっ、気は確かですか? 天下の楽市不動産ですよ」

財閥系の企業である楽市不動産は誰もが知る大手で、業界でもトップクラスだ。
30代で課長の座につくほどのエリートなのに、退職を考えるなんて、私にはまったく理解ができない。

「それに、ご自分でも作家に向いていないって分かっているんですよね」

「ええ」

「ならどうして」

「ドMだから……ですかね」

冗談とも本気ともつかない微妙な表情の課長が、すっと目をそらす。

「とにかく、この作品で自分の殻を破らなければ、先はない……そう思っているんですよ」

その横顔は、さっきまで妖艶に私をたぶらかそうとしていた男とは別人のように、切羽詰まったものだった。

この表情……私はこんな顔を知っている。
苛立ち、後悔、寂しさ。それらをひっくるめて、あきらめの中に閉じ込め、もがいているような。
それは毎晩のように、酒を飲みながら恨みを吐き続けた父さんのものと一緒で、きゅう、と胸が締めつけられた。

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