最強の魔女と策士な伯爵~魔法のランプをめぐる攻防~
「いいわけないわよ。貴方は何も悪くない。ただ……少し驚いただけなの」

 放っておけばまた逃走するだろうと腕を掴まれる。それは手袋をした方の手だ。

「悪かった。俺のせいで嫌な思いをさせたんだろ」

 勝手に動揺して逃げ出したのはメレ。けれどオルフェは責めるどころか自分のせいだと言いだす。

「……今更ね。出会った瞬間から嫌な思いをさせられているのだから、その後の一つや二つ、どうということもないわ」

「強がるな」

 気にすることはないと好意で言い放った言葉は一蹴される。それは彼の優しさだ。強がりをやめたらどうなるのか、甘い誘惑がメレを侵食していく。
 触れるラーシェルの手は熱く心地良い。

「わたくし……」

 二人の間を雨粒が隔てた。

(何を言おうとした?)

 もはや自分でもわからない。ただ必死にオルフェリゼ・イヴァンはランプを奪った憎い相手、ただの人間にすぎないと警告していた。
 雨は互いを隔てる壁のよう。立ち尽くしていれば涙のように伝い、雫が冷静さを連れてくる。
 雨音は次第に強くなりオルフェは彼を呼んだ。

「ラーシェル、彼女に傘を」

「必要ないわ。貴方が使って。わたくしは雨に打たれたい気分なの」

 頭を冷やそう。

「風邪引くぞ」

「引かないわよ」

「体、こんなに冷えてるだろ」

 オルフェが頬に触れている。氷のような冷たさに眉をしかめた。

「触らないほうがいいわよ。貴方まで冷えてしまうから」

 メレは逃げなかった。

(きっと彼はどこまででも追ってくる。たとえわたくしがどこに逃げようと、閉じこもろうと無駄なことね)

 だから不毛な争いを続ける元気もない。
 諦めたメレは困ったように笑う。頬に触れていたラーシェルの手を掴み自らの左胸に導いた。

「メレディアナ?」

 オルフェは困惑しているだろう。

 全力で走って、感情を顕わにして――
 それなのに怖ろしいほどの静寂は生きていることを疑わせる。

「わたくしの時間は止まっているの。温かくはならない、静かなまま。こんなの、死んでいるのと同じね」

 老いない体はまるで人形、あるいは魔の者か。

 この身に熱があったなら――

 メレにとってあれは単なる劇中の台詞では済まされないのだ。
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