偽お嬢様の箱庭
懐かしいにおいがした。
屋敷の門をくぐれば、丁寧に手入れされた銀杏並木を一望できる。
秋いなればこのすべてが黄色く色づいて、「ああ今年もそんな季節ですか」と葵が呟くのだ。
元自宅へ向かうとはいえ、場所が場所だけにすこしおめかしをしてきた。
決して、葵に会えるからとか。お嬢様もう少し女性らしくなさったらどうですか?なんて小言を言われたらどうしようなんてことを心配してきたわけではない。
新品のヒールはあまり足に合っていなかったけれど、上品な色合いが気に入っている一足だ。
踵がタイルをはじく軽快な音を聞きながら、屋敷に足を踏み入れる。
正面玄関は大げさな装飾が施されていて、あの頃と何も変わらない。
たくさんの緊張感と、少しの期待。
両者を抱えながら、扉に手を伸ばした時。そっと、誰かが扉を開いた。
「お待ちしておりました。」
澄んだ、瞳。
黒曜石を思わせるその煌めきに、ぐっと意識を持っていかれる。
覚悟していたはずなのに、徒花と成り果てとっくに枯れた初恋が喚く。
あの頃の気持ちを忘れたのか?と。
忘れるはずがない。
忘れられるはずがなかった。
覚えていてはいけないから、握りつぶしただけなのだ。
「.....ひさし、ぶり。」
生活環境が一変した怒涛のあの日から、一度も顔を見ていなかった。ぷつり、と。打ち切りになった私たちの時間が、ゆっくりと動き始めるのがわかる。
彼は見違えるほどに美しく成長していた。
あの頃のあどけなさは跡形もなく消え、圧倒されるほどの落ち着きを得ていた。その陰に色気が見え隠れし、酷く魅力的な人だと素直に感じる。
「お元気そうで何よりです。こちらへどうぞ。」
案内され辿り着いたのは応接室。
内装は今の主人の趣味なのか落ち着いた小物が多いように思えた。私の記憶の中の応接室は、豪勢な花が咲き誇っている。
父は派手なものを好んだためだ。
差し出されたティーカップからは良い香りが立ち上っていた。この紅茶は....アッサムだろうか。
人払いを済ませると、葵は向かい側の席に腰を下ろす。
てっきり現主人が出てくるのかと思い身構えたが、どうやら今回用事があるのは葵個人のようだ。
「それで、葵。話って何なん....、どういった内容なんでしょうか?」
「かしこまらなくてもよいですよ。ここには私とユウキ様しかおりません。昔のように接していただければよいのです。」
微笑を浮かべながらそう優しい声色で話す葵。
しかし、昔とはお互い立場も風貌も変わってしまった。
「いえ。そうはいきません、私たちはもう以前とは違うのですから。私も気を付けます。」
葵、さん。
敬称をつけるのはなんだか違和感が付きまとうが、これは私なりのけじめというか、まあいうなれば自らを律するための手段だ。
「そうですか。」
彼はそっとうなずくと、間をおいてひと際真剣な面持ちをつくった。
「話がそれてしまいましたね、わざわざお越しいただいたのには深いわけがあるのです。まずは、千世お嬢様についてお話ししなくてはいけません。」
応接室には、午後のあたたかな日差しが差し込んできた。
床に色濃く落ちる、二人の影。
立ち込める紅茶の香りに混じるように、用意された焼き菓子の甘い香りが鼻をかすめる。
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