敏腕弁護士との政略結婚事情~遅ればせながら、溺愛開始といきましょう~
けれど所長は、残り少ない余生を嘆くではなく、真正面から彼を見据える。


「これまで、十分幸せに生きてきた。この癌宣告で、人生のゴールが定められたが、心残りは、大事なものを残して先に逝かねばならないこと。それだけだ」


余命半年の癌宣告を受けた患者にしては、とても穏やかな口調。


「お気持ち、お察しします」


櫂斗は沈痛に顔を歪めて、目線を上げた。
宙で目が合うのを待っていたかのように、所長が眉尻を下げる。


「私の、心残り。君には言わずともわかるだろう? この人生で私が心血注いで大事にしてきたもの」


一語一語区切るように、ゆっくり問われ、櫂斗はこくりと頷いた。
言わせずとも、わかる。
所長の人生は、仕事……つまりこの事務所と、娘の葵を中心に回っていた。


この事務所は所長が一人で起ち上げていて、共同経営者であるパートナー弁護士はいない。
櫂斗よりはるかに年上で経験豊富な弁護士は他に何人もいるが、彼自身、その誰よりも所長からの信頼は厚いと自負している。
そして。


「須藤君。私は君に両方を託したい」


事務所を託す。
その意味は、深く考えなくてもわかる。
所長は、弁護士引退を決意した今、櫂斗を後継者に指名した。
そこに驚きはない。


しかし――。


「両方って……」
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