敏腕弁護士との政略結婚事情~遅ればせながら、溺愛開始といきましょう~
櫂斗を追って、その執務室の前に立った葵は、そこから微かに漏れてくる笑い声を耳にして、ドアをノックしようとした手を引っ込めていた。


「須藤先生……?」


もしや部屋を間違えたかと不可解に思い、ドアのプレートを確認する。
黒い楕円形のプレートには、金色の文字で『Kaito Sudo』と書いてある。
ここで間違ってないのはわかっても、この笑い声が彼のものとは信じられない。


今年で二十七歳の葵は、大学卒業後、この事務所で働き始めた。
それから五年経つが、櫂斗がこんな風に声をあげて笑う様を見たことがない。


所長である父が、その才覚には一目置いている、事務所一キレる弁護士だ。
親しく話してみたいと思っても、パラリーガルたちがいつも櫂斗を取り巻いている。
事務員の葵では、彼の視界の隅に映り込むことも、ままならない。
物腰は柔らかいが、人との間に一線引くような敬語を崩さない、彼の心は遠い。


そんな櫂斗が、人払いして父と話した後、これほど愉快そうに笑っているとなると、やはりなにを話していたのか気になる。
葵はわずかに目線を揺らし、一度引っ込めた手を、再びギュッと握りしめた。
思い切ってドアをノックしようとした時、


「葵」


背後から名を呼ばれ、ギクリと肩を縮めた。


「っ、お父さん」


弾かれたように振り返ると、グレイヘアをオールバックにした父が立っていた。
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