戀のウタ
 そしてそれ以上に失ったことで千鶴の心に影を落としたものがあった。

 それは新しい生命を失ったこと。

 実験事故のあった時、千鶴は正嗣との間に新しい命を授かっていた。

 本来ならば産休に入り実験には立ち会わない予定だったがプロジェクトの佳境ともあり新しい技術をお腹の中の子供に見せたいという千鶴の希望で立ち会ったことで――。


 『もし』という仮定の事象があるのなら、と千鶴は思う。

 もしあの日、立ち会わずにいればせめてあの人の子と産み育てれたのではないか?

 そんな事を何度も思ってきた。


 だがそうあったとしても最愛の夫を失い遺される悲しみに耐えれるか――その自信は無かった。

 現に今もその悲しみに耐えれていない。


 事故は千鶴に体だけでなく心にも傷を残した。

 10年前の事故以降、千鶴は心休まる日は1日と無く、深い眠りというものを体感したことは無い。

 いくら眠りに落ち夢を見ても最後に見るのは夫の最期の瞬間だけ。
 何度も何度も夢の中で死ぬ最愛の人の姿など無上の責め苦だ。

 だから千鶴は無意識の内に深い眠りというものを避けていた。

 そして眠れない体を慰めるように、過去を思い出す時間など与えないようにプロジェクトに没頭する。

 その姿に他人は皆、口を揃えて大丈夫かと心配してきたが人として必要な『睡眠』という時間が摂れないのだからどうしようもなかった。
< 161 / 170 >

この作品をシェア

pagetop