授かったら、エリート弁護士の愛が深まりました
「すまない、バイトを始めたばかりでまだ慌ただしいのに……この先のことなんて考えられないよな。ただ、その……君にベーカリーカマチでずっと仕事してもらえたらなって」

暗がりでよく見えなかったけれど、なんとなく黒川さんの頬がほんのり赤い。恥ずかしそうに口ごもりながら言われると、変な勘違いをしそうになる。

「まだ次のことはなにも考えてないんです。でも、どうしてですか?」

「なんていうか……君があんパンを食べている姿が可愛かったから、というか……ああ、なに言ってるんだ俺」

黒川さんが困惑した表情を浮かべて頭をガシガシ掻くと、そのときひときわ風が強く吹いて煽られた。

「あの……」

「あ、待って頭に」

距離を狭めて黒川さんが少しかがむと私の目の前が陰る。いままで気づかなかったけれど、彼からほんのりと爽やかなフレグランスが香ってドキンと胸が跳ねた。

「桜の花びらが頭にのっかってた」

「え?」

「っていうのは、口実だ」

そう言いながら私を引き寄せ、気がつけば私は黒川さんの胸の中へすっぽりと納まっていた。黒川さんの体温は春の風よりも温かくで心地がいい。あまりにも急でそう感じるのに時間がかかった。なぜ自分が黒川さんに抱きしめられているのか理解できず、思考が止まったまま目を見開くと、その視線の先には桜の木がそよそよと風に揺れていた。

「回りくどい言い方はやめよう」

ゆっくりと身体を離し、頬に手をあてがわれると少し指先がひんやりとしている。

「黒川さ――」

その瞬間、彼の長い睫毛が狭まり唇に生暖かい感触がした。それは触れるだけの短い不意打ちのキスだった。

私、今……黒川さんにキスされた?
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