男女7人!?夏物語~アイドルHinataの恋愛事情【3】~
04 始業式。
翌日の9月1日。
一晩中泣き続けて、しかもほとんど眠っていないと、人間ってこんな顔になるんだ、と思った。
……すっごい、ひどい顔。
今日は始業式だというのに……。
そうだ、今日は始業式なんだ。
樋口は、『始業式には来るけど、その後しばらく学校には来られない』と言っていた。
もし、あたしが学校を休んだら、樋口はきっと気にするだろう。
休むわけにはいかない。
あたしは、鏡に映ったあたしに向かって心の中で言った。
笑え、あたし。
笑って、樋口を送り出すんだ。
……大丈夫。あんたなら、できるよ、美里。
登校途中で、道端に座り込んでる樋口をみつけた。
あたしは、その樋口に声をかけた。
努めて明るく、ハイテンションで。
そうだ、あたし、笑うんだ。
樋口との残り少ない時間、悲しい顔なんてしていられない。
教室に着くと、クラス中のみんなは盛り上がってた。
クラスメートがアイドルになっちゃうんだから、当然だ。
なんか、樋口とあたしが一緒に登校してきたものだから、付き合ってるんじゃないか、なんて言い出す人までいるけど、そんなのは完全否定。
だって、付き合ってるわけじゃないし。
それに、そんなこと変な噂にでもなったら、樋口に迷惑かかっちゃう。
「ほら、みんなさ、樋口もアイドルデビューするんだし、みんなだって卒業したらバラバラになっちゃうでしょ? 残り少ない時間をさ、有意義に過ごそうよ」
それは、あたしの本音だった。
樋口だけじゃなく、他のみんなとも、楽しく笑って卒業できたらいいな、と思ってる。
「おおーい、おまえら、うるさいぞっ! 早く席につけー!」
教室に入ってきた担任の声に、みんなはがたがたと席に戻っていったけど。
その日、担任が話したことと言えば、結局樋口のことばかりだった。
先生が、教え子のアイドルデビューに浮かれてどうすんの?
「藤田さん、ちょっといい?」
始業式が終わって帰り支度をしていると、クラスメートの田中さんに声をかけられた。
「ん? なに? あ、文化祭のアンケート? ありがとう、実はあんまり集まってなくて……」
「そうじゃなくて、……あの、樋口くんのことなんだけど」
「……え? 樋口?」
田中さんは、どちらかというとクラスではおとなしめな感じの子で、彼女の方からあたしに声をかけてくるなんて、滅多にないのだけれど。
それを、わざわざ声をかけてきてくれてて、樋口の話題、ということは……もしかして。
「あ……、あたし、樋口とはホントに付き合ってないよ? うん、ホント、全然」
田中さんは、疑いの眼差しをあたしに向けている。
「今朝は、偶然途中で会ったから一緒に来ただけで……。あの、誤解だから。全然違うから……安心して」
「……安心?」
「え? 田中さん……樋口のことが……好き……なんじゃないの?」
周りに聞こえないように少し小さめの声であたしは聞いた。
「わたしが? 樋口くんを? ……冗談言わないでよ。わたしは『SEIKA』の竹ノ原くんが好きなのよ」
……えっと、アイドルの話をしてたつもりはないんだけど。
「じゃぁ、えっと……何?」
田中さんは、うつむいてぼそっと呟いた。
「…………気に入らない」
「……え?」
「あなたのことが、気に入らないって言ってるの。だいたいね、藤田さんってみんなにいい顔してさ、ミエミエなのよね」
……『いい顔』?
「……どういう意味よ?」
あたしが問うと、田中さんはまっすぐにあたしの眼を見て、
「今朝のあれ、なんなのよ。いい子ぶって、仕切っちゃってさ。樋口のことだって、夏休み前には会話なんてロクにしたことないくせに、アイドルになるって知ったとたんに近づこうだなんて」
「そんなこと……!」
あたしは、別にそんなつもりは……!
「とぼける気? あたし、知ってるんだからね。このあいだのSEIKAの名古屋コンサート、あなた来てたでしょう?」
あ……加奈と行った、あのコンサートのことだ!
「『ハギーズには興味ありません』なんて顔してたくせにさ。帰りの新幹線で見たのよ。あんたが、会場で配られたHinataのファンクラブの案内を、バカみたいな顔して眺めてるの」
帰りの新幹線……。
あたし、確かに……ファンクラブの案内用紙に載ってる樋口のこと、見てた。
だけど……別に、樋口がアイドルになるから近づこうってわけじゃ……。
「なんだ、そーいうことかよ」
教室の入り口から聞こえてきた低い声に、あたしは振り返った。
「…………樋口っ!」
樋口は、自嘲気味に笑いながら、
「そーだよな。やっぱ、おかしーと思ったんだ。バカだよな、俺。全然気づかねーでよ。昨日も、心ん中で、俺のこと笑ってたんだろ?」
そんな……樋口、違うよ。
あたしが好きなのは……クラスメートの樋口なんだよ。
でも……この状況でそんなこと……言えるわけない。
「…………そうだよ。あんたのことなんて、ほんとは全然興味ないわよ。名古屋のコンサートであんたを見たときはびっくりしたけどさ、他の二人の方が断然かっこいいし、あんたに近づけば、あの二人にも会えるかな、なんて思ってただけだよ」
どうしてこんな、樋口を傷つけるようなこと平気で言えるんだろう。
あたし……嫌なやつだ。
田中さんが、樋口に何か言ってる。
内容はよく分からないけど、樋口のことをバカにしてるってことだけは分かる。
田中さんだって、あたしより樋口と話したことなんかないくせに。
樋口がどんな人なのか、少しも知りもしないくせに――。
「きっとさぁ、あれよ、二人の引き立て役なのよ。出来の悪い人が一人くらいいた方が、バランスがとれるってこと――」
「そんなわけナイでしょ?」
あたしが田中さんの言葉に耐えかねてブチ切れる(立場にないんだけど)直前。
見知らぬ男のコが教室に入ってきた。
「……の、希!?」
どうやら、樋口の知り合いらしい。
……って、その男のコの後ろには、『Hinata』の……えっと、名前は忘れちゃったけど、とにかく樋口以外の二人だ。
田中さんはもちろんだけど、他のクラスメートもみんな、驚いて固まってる。
男のコは、やじろべえを取り出して、なにやら樋口に説明してる。
「……この異色な二人をつないで支えていられるのは、樋口しかいなんだ。何百人、何千人と見てきたボクが言うんだ。間違いナイ。断言するよ。それに、樋口ならこの二人の成長に合わせて樋口自身も成長していける……そーいうチカラを持ってるよ、キミは」
あたしにはよく分からないけど、『樋口はすごい人なんだよ』みたいなことらしい。
話し終えた男のコは、これから仕事が待ってるということを樋口に告げ、
「どーする? もし樋口が、『辞めたい』って言うなら、ボクは止めないケド」
と、生意気そうな顔で樋口に言った。
樋口は……迷ってるの?
「名古屋でファンが待ってるよ、直くん!」
男のコの後で、『Hinata』の二人のうちの一人が言った。
すると樋口は明るい口調で、
「……チッ、しょーがねーなっ。この俺が、必要なんだろ? っつーか、ゲリラライブだっつーのに、誰が待ってるって?」
と、男のコの頭をぐりぐりとなで、半ば引きずるようにしながら、『Hinata』の二人の待つ教室の入り口へと歩いていった。
樋口は、教室を出る直前、振り返った。
何かを決意した表情で、クラスメートのみんな、そしてあたしの顔を見回した。
今日の担任の話では、樋口はデビュー後しばらくして落ち着いたら、補習を受けにきて、一緒に卒業できるって言ってた。
だけど、そのときの樋口の表情――――。
樋口は、右手を高くあげて、
「……じゃぁなっ!」と笑顔で叫んだ。
きっと、樋口は二度と学校には来ないんだと、なぜだか確信した。
樋口はきっと、『アイドル』の道を歩いて行くことを決心したんだね。
がんばれ、樋口。
あたし、応援してるからね。
「……なぁんか、すげーことになったな?」
クラスメートの男子がつぶやいた。
「樋口って、俺らと変わらねー、フツーの男子高校生だと思ってたけどよー。あの二人に馴染んでるよな?」
「って、おまえハギーズに詳しいのかよ?」
「……お袋と姉貴がハギーズのファンだから情報はいろいろ。あの二人はハギーズでも相当スゲーやつららしくて……」
「すごいなんてもんじゃないわよ! 高橋くんも中川くんも、いつデビューしてもおかしくないってずっと言われ続けてたんだから!」
突然、田中さんが叫んだ。
「……田中には聞いてねーよ」
田中さんは、男子の声を無視して、あたしに向かって言った。
「藤田さんも、残念だったわね。樋口くんがあの二人を支えるくらいのすごい人って言われててさ。こういうのってさ、『逃した魚は大きい』って――」
「『逃した』んじゃナイよ。『放した』んでしょ?」
田中さんのしつこいイヤミを遮ってくれたのは……。
あ、またさっきの小学生くらいの男のコだ。
「キミさ、樋口にケリ入れてたコでしょ? いやー、アレ、見事だったよ」
はぁ? まさか、あれ……見てたの!?
「なーんとなく、こーなるんじゃないかと思って、ガッコーまで来てみてよかったよ。いるんだよね、ハギーズの名前を聞いて、コロッと態度を変えるオンナのコ」
男のコは、両手を外国人のように広げて、やれやれ、というような口調で言った。
「あ、あたしは……」
「うん。キミは、どーやら違ったみたいだね。おかげで、ボクがキミに説得する手間が省けて助かったよ。いま、樋口に抜けられたら困るんだよね、ホントは」
「……説得?」
「そー。キミがなんだかんだと樋口を誘惑でもして、樋口を持ってかれちゃったら、コッチが困るってこと。……まぁ、たいていのコは、こーいうモノで引き下がってくれるんだケド」
と、男のコは背負っていたリュックから封筒を取り出した。
触れなくても、……ううん、少し離れたこの位置からでも、その封筒の厚みが分かる。
中に入っているものは、まさか…………。
「ま、キミには使う必要なさそうだね」
男のコは、ニッと笑いながらその封筒をリュックにしまった。
……要らないわよ、そんなもの。
「キミにはね、感謝してるんだ。『Hinata』を完成させるキッカケになったのは、キミだからね。キミがあのときゴーカイなケリを樋口にかましてなければ、今回の『Hinata』のデビューはなかった」
男のコは、まっすぐにあたしの目を見て言った。
うわぁ……なんか、吸い込まれそうなくらいきれいな瞳……。
……って、あたしの蹴りが、なんで『Hinata』に関係あるのよ?
「だから、お礼にコレあげるよ」
と、男のコはリュックから取り出したものをあたしに手渡した。
「これは……?」
「ソレね、『Hinata』のデビューシングルのCD。初回限定盤で、今回そんなにたくさん作ってナイから、結構貴重だよ。まだどこにも出回ってナイから、取り扱いには注意してね」
……なんでそんな貴重なものをこのコが持ってるんだろう?
「じゃ、ボク急ぐからもう行くケド……。樋口に何か伝えたいコト、ある?」
「伝えたいこと……?」
あたし、受け取ったCDのケースを握りしめながら少し考えて、
「じゃぁ、『頑張って』って……」
「……リョーカイ」
男のコはニッと笑って、足早に教室を後にした。
「美里……、いまのはいったい、なんだったの?」
それまで固まって様子を見ていたクラスメートのうちの一人が言った。
「さぁ……。あたしも、よくわかんないんだけど……」
そう言って、あたしは男のコから受け取ったCDに視線を落とした。
その後、樋口は秋になっても学校に来ることはなく。
翌年の3月、あたしは、樋口を除くクラスメートたちとともに卒業した。
一晩中泣き続けて、しかもほとんど眠っていないと、人間ってこんな顔になるんだ、と思った。
……すっごい、ひどい顔。
今日は始業式だというのに……。
そうだ、今日は始業式なんだ。
樋口は、『始業式には来るけど、その後しばらく学校には来られない』と言っていた。
もし、あたしが学校を休んだら、樋口はきっと気にするだろう。
休むわけにはいかない。
あたしは、鏡に映ったあたしに向かって心の中で言った。
笑え、あたし。
笑って、樋口を送り出すんだ。
……大丈夫。あんたなら、できるよ、美里。
登校途中で、道端に座り込んでる樋口をみつけた。
あたしは、その樋口に声をかけた。
努めて明るく、ハイテンションで。
そうだ、あたし、笑うんだ。
樋口との残り少ない時間、悲しい顔なんてしていられない。
教室に着くと、クラス中のみんなは盛り上がってた。
クラスメートがアイドルになっちゃうんだから、当然だ。
なんか、樋口とあたしが一緒に登校してきたものだから、付き合ってるんじゃないか、なんて言い出す人までいるけど、そんなのは完全否定。
だって、付き合ってるわけじゃないし。
それに、そんなこと変な噂にでもなったら、樋口に迷惑かかっちゃう。
「ほら、みんなさ、樋口もアイドルデビューするんだし、みんなだって卒業したらバラバラになっちゃうでしょ? 残り少ない時間をさ、有意義に過ごそうよ」
それは、あたしの本音だった。
樋口だけじゃなく、他のみんなとも、楽しく笑って卒業できたらいいな、と思ってる。
「おおーい、おまえら、うるさいぞっ! 早く席につけー!」
教室に入ってきた担任の声に、みんなはがたがたと席に戻っていったけど。
その日、担任が話したことと言えば、結局樋口のことばかりだった。
先生が、教え子のアイドルデビューに浮かれてどうすんの?
「藤田さん、ちょっといい?」
始業式が終わって帰り支度をしていると、クラスメートの田中さんに声をかけられた。
「ん? なに? あ、文化祭のアンケート? ありがとう、実はあんまり集まってなくて……」
「そうじゃなくて、……あの、樋口くんのことなんだけど」
「……え? 樋口?」
田中さんは、どちらかというとクラスではおとなしめな感じの子で、彼女の方からあたしに声をかけてくるなんて、滅多にないのだけれど。
それを、わざわざ声をかけてきてくれてて、樋口の話題、ということは……もしかして。
「あ……、あたし、樋口とはホントに付き合ってないよ? うん、ホント、全然」
田中さんは、疑いの眼差しをあたしに向けている。
「今朝は、偶然途中で会ったから一緒に来ただけで……。あの、誤解だから。全然違うから……安心して」
「……安心?」
「え? 田中さん……樋口のことが……好き……なんじゃないの?」
周りに聞こえないように少し小さめの声であたしは聞いた。
「わたしが? 樋口くんを? ……冗談言わないでよ。わたしは『SEIKA』の竹ノ原くんが好きなのよ」
……えっと、アイドルの話をしてたつもりはないんだけど。
「じゃぁ、えっと……何?」
田中さんは、うつむいてぼそっと呟いた。
「…………気に入らない」
「……え?」
「あなたのことが、気に入らないって言ってるの。だいたいね、藤田さんってみんなにいい顔してさ、ミエミエなのよね」
……『いい顔』?
「……どういう意味よ?」
あたしが問うと、田中さんはまっすぐにあたしの眼を見て、
「今朝のあれ、なんなのよ。いい子ぶって、仕切っちゃってさ。樋口のことだって、夏休み前には会話なんてロクにしたことないくせに、アイドルになるって知ったとたんに近づこうだなんて」
「そんなこと……!」
あたしは、別にそんなつもりは……!
「とぼける気? あたし、知ってるんだからね。このあいだのSEIKAの名古屋コンサート、あなた来てたでしょう?」
あ……加奈と行った、あのコンサートのことだ!
「『ハギーズには興味ありません』なんて顔してたくせにさ。帰りの新幹線で見たのよ。あんたが、会場で配られたHinataのファンクラブの案内を、バカみたいな顔して眺めてるの」
帰りの新幹線……。
あたし、確かに……ファンクラブの案内用紙に載ってる樋口のこと、見てた。
だけど……別に、樋口がアイドルになるから近づこうってわけじゃ……。
「なんだ、そーいうことかよ」
教室の入り口から聞こえてきた低い声に、あたしは振り返った。
「…………樋口っ!」
樋口は、自嘲気味に笑いながら、
「そーだよな。やっぱ、おかしーと思ったんだ。バカだよな、俺。全然気づかねーでよ。昨日も、心ん中で、俺のこと笑ってたんだろ?」
そんな……樋口、違うよ。
あたしが好きなのは……クラスメートの樋口なんだよ。
でも……この状況でそんなこと……言えるわけない。
「…………そうだよ。あんたのことなんて、ほんとは全然興味ないわよ。名古屋のコンサートであんたを見たときはびっくりしたけどさ、他の二人の方が断然かっこいいし、あんたに近づけば、あの二人にも会えるかな、なんて思ってただけだよ」
どうしてこんな、樋口を傷つけるようなこと平気で言えるんだろう。
あたし……嫌なやつだ。
田中さんが、樋口に何か言ってる。
内容はよく分からないけど、樋口のことをバカにしてるってことだけは分かる。
田中さんだって、あたしより樋口と話したことなんかないくせに。
樋口がどんな人なのか、少しも知りもしないくせに――。
「きっとさぁ、あれよ、二人の引き立て役なのよ。出来の悪い人が一人くらいいた方が、バランスがとれるってこと――」
「そんなわけナイでしょ?」
あたしが田中さんの言葉に耐えかねてブチ切れる(立場にないんだけど)直前。
見知らぬ男のコが教室に入ってきた。
「……の、希!?」
どうやら、樋口の知り合いらしい。
……って、その男のコの後ろには、『Hinata』の……えっと、名前は忘れちゃったけど、とにかく樋口以外の二人だ。
田中さんはもちろんだけど、他のクラスメートもみんな、驚いて固まってる。
男のコは、やじろべえを取り出して、なにやら樋口に説明してる。
「……この異色な二人をつないで支えていられるのは、樋口しかいなんだ。何百人、何千人と見てきたボクが言うんだ。間違いナイ。断言するよ。それに、樋口ならこの二人の成長に合わせて樋口自身も成長していける……そーいうチカラを持ってるよ、キミは」
あたしにはよく分からないけど、『樋口はすごい人なんだよ』みたいなことらしい。
話し終えた男のコは、これから仕事が待ってるということを樋口に告げ、
「どーする? もし樋口が、『辞めたい』って言うなら、ボクは止めないケド」
と、生意気そうな顔で樋口に言った。
樋口は……迷ってるの?
「名古屋でファンが待ってるよ、直くん!」
男のコの後で、『Hinata』の二人のうちの一人が言った。
すると樋口は明るい口調で、
「……チッ、しょーがねーなっ。この俺が、必要なんだろ? っつーか、ゲリラライブだっつーのに、誰が待ってるって?」
と、男のコの頭をぐりぐりとなで、半ば引きずるようにしながら、『Hinata』の二人の待つ教室の入り口へと歩いていった。
樋口は、教室を出る直前、振り返った。
何かを決意した表情で、クラスメートのみんな、そしてあたしの顔を見回した。
今日の担任の話では、樋口はデビュー後しばらくして落ち着いたら、補習を受けにきて、一緒に卒業できるって言ってた。
だけど、そのときの樋口の表情――――。
樋口は、右手を高くあげて、
「……じゃぁなっ!」と笑顔で叫んだ。
きっと、樋口は二度と学校には来ないんだと、なぜだか確信した。
樋口はきっと、『アイドル』の道を歩いて行くことを決心したんだね。
がんばれ、樋口。
あたし、応援してるからね。
「……なぁんか、すげーことになったな?」
クラスメートの男子がつぶやいた。
「樋口って、俺らと変わらねー、フツーの男子高校生だと思ってたけどよー。あの二人に馴染んでるよな?」
「って、おまえハギーズに詳しいのかよ?」
「……お袋と姉貴がハギーズのファンだから情報はいろいろ。あの二人はハギーズでも相当スゲーやつららしくて……」
「すごいなんてもんじゃないわよ! 高橋くんも中川くんも、いつデビューしてもおかしくないってずっと言われ続けてたんだから!」
突然、田中さんが叫んだ。
「……田中には聞いてねーよ」
田中さんは、男子の声を無視して、あたしに向かって言った。
「藤田さんも、残念だったわね。樋口くんがあの二人を支えるくらいのすごい人って言われててさ。こういうのってさ、『逃した魚は大きい』って――」
「『逃した』んじゃナイよ。『放した』んでしょ?」
田中さんのしつこいイヤミを遮ってくれたのは……。
あ、またさっきの小学生くらいの男のコだ。
「キミさ、樋口にケリ入れてたコでしょ? いやー、アレ、見事だったよ」
はぁ? まさか、あれ……見てたの!?
「なーんとなく、こーなるんじゃないかと思って、ガッコーまで来てみてよかったよ。いるんだよね、ハギーズの名前を聞いて、コロッと態度を変えるオンナのコ」
男のコは、両手を外国人のように広げて、やれやれ、というような口調で言った。
「あ、あたしは……」
「うん。キミは、どーやら違ったみたいだね。おかげで、ボクがキミに説得する手間が省けて助かったよ。いま、樋口に抜けられたら困るんだよね、ホントは」
「……説得?」
「そー。キミがなんだかんだと樋口を誘惑でもして、樋口を持ってかれちゃったら、コッチが困るってこと。……まぁ、たいていのコは、こーいうモノで引き下がってくれるんだケド」
と、男のコは背負っていたリュックから封筒を取り出した。
触れなくても、……ううん、少し離れたこの位置からでも、その封筒の厚みが分かる。
中に入っているものは、まさか…………。
「ま、キミには使う必要なさそうだね」
男のコは、ニッと笑いながらその封筒をリュックにしまった。
……要らないわよ、そんなもの。
「キミにはね、感謝してるんだ。『Hinata』を完成させるキッカケになったのは、キミだからね。キミがあのときゴーカイなケリを樋口にかましてなければ、今回の『Hinata』のデビューはなかった」
男のコは、まっすぐにあたしの目を見て言った。
うわぁ……なんか、吸い込まれそうなくらいきれいな瞳……。
……って、あたしの蹴りが、なんで『Hinata』に関係あるのよ?
「だから、お礼にコレあげるよ」
と、男のコはリュックから取り出したものをあたしに手渡した。
「これは……?」
「ソレね、『Hinata』のデビューシングルのCD。初回限定盤で、今回そんなにたくさん作ってナイから、結構貴重だよ。まだどこにも出回ってナイから、取り扱いには注意してね」
……なんでそんな貴重なものをこのコが持ってるんだろう?
「じゃ、ボク急ぐからもう行くケド……。樋口に何か伝えたいコト、ある?」
「伝えたいこと……?」
あたし、受け取ったCDのケースを握りしめながら少し考えて、
「じゃぁ、『頑張って』って……」
「……リョーカイ」
男のコはニッと笑って、足早に教室を後にした。
「美里……、いまのはいったい、なんだったの?」
それまで固まって様子を見ていたクラスメートのうちの一人が言った。
「さぁ……。あたしも、よくわかんないんだけど……」
そう言って、あたしは男のコから受け取ったCDに視線を落とした。
その後、樋口は秋になっても学校に来ることはなく。
翌年の3月、あたしは、樋口を除くクラスメートたちとともに卒業した。