コンチェルト ~沙織
沙織の窓口でする 短い世間話しの中で 紀之は食事に誘ってみる。
「そうですね。いつか機会があれば。」
沙織は、上手にすり抜ける。
断られても、紀之は嫌な気持ちにならなかった。
沙織の目に、一瞬照れたような戸惑いを見たから。
沙織も、自分に悪い印象は持っていないと確信した。
何度 窓口で食事に誘っても いつもうまくすり抜ける沙織。
そんな他愛ないやり取りが楽しくて。
こう言ったら、何と断るだろうと考えることが楽しくて。
次第に 誘う言葉を言う前に 笑ってしまう紀之。
沙織も、そんなやり取りを楽しんでいると思えた。
その日は 一番奥の窓口で紀之の番号が呼ばれる。
朗らかな紀之は、誰に対しても社交的な笑顔を向ける。
「廣澤様のお父様には、いつもお世話になっています。」
紀之が差し出す書類を確認しながら 窓口の女性が言う。
正直 沙織以外の女子行員の顔は よく見ていなかった紀之。
改めて、その人の顔を見る。
媚びるような上目使い。
無理に口角を上げた 計算高い笑顔に 紀之は苦笑する。
「いいえ。こちらこそ。色々、お世話になっています。」と答えて。
『父がこの人をお世話するわけがないのに。』と心で苦笑して。
紀之が苦手なタイプ。
こういう人は 拒否すれば 面倒なことを言う。
例えば、沙織に嫌がらせをするとか。
紀之の視線に敏感で 沙織への好意に気付いていたりするから。
少しでも親し気に話しかけると 自分は特別な存在だと言いふらす。
なるべく近付きたくない。
その人は、紀之が社長の息子だと知っていた。
多分、沙織の耳にも入っているだろう。
処理を待つ間 ソファに座る紀之に 沙織が心配そうな目を向ける。
紀之の心の動きに気付いたように。
『大丈夫。心配しないで。』
紀之も、無言で沙織を見つめる。
自分の気持ちが届くと信じて。