妖しな嫁入り
 嫌な耳鳴りがする。

『影無しめ、育ててやった恩を忘れたか』

 頭の中で響く声が責め立てる。幻にまで怯えるなんて滑稽だ。
 ここに彼らがいるはずもないのに。けれど現実ほどに精巧な幻は、きっとこう言われるだろうと身体に沁みついている。容易に想像がついてしまうのだ。
 目の前にいるくせに、何を考えているか想像のつかない朧とは大違いで笑えてしまう。

『妖は根絶やしにしなければならない』

 体の温度が下がっていく。今私がした行いを知られたとしたら、それだけで二度と望月の敷居をまたぐことは出来ない。見捨てられる。
 それでも目の前の、人の形をした妖を斬ろうと思えない。甘いと罵られるだろう。でも、それでも私は――

「椿、顔色が悪い。平気か? 」

 朧の手が頬に触れていた。その手が温かいと感じてしまうのは私が冷え切っているせいか。
 妖にも体温がある。これまでの私は知りもしなかった。彼らを、ただの冷たい生き物だと思っていた。身も、心も。

「平気だから、触らなくていい」

 顔色が悪い? 私はこんなに弱かった?
 弱さを指摘されたことなんてない。いいえ、してくれる人がいなかっただけか。唯一己の未熟さを自覚させられるのは傷を負った瞬間。それが狂わされていく、自分の弱さを見せつけられてしまう。

「長く歩かせて悪かった。寒いだろう」

『人でいたければ――』

 気遣うような朧の優しさが耳鳴りと重なる。

 そう、私は人でいたい。だから――

「私はそんなに弱くない」

「知っている」

 あからさまな、ただの強がり。それでも朧は受け入れてくれた。けれどわかっていると言われたことが癪で、つい自分でもわけのわからない反論が飛び出してしまう。

「違う、私は弱い」

「どっちだ」

 呆れたような声も当然だ。
 認めるのは癪だけど私は弱い。未熟とも言える。現に朧に勝てず、妖と傘を共有するなどあるまじき行為を許している。思い返せば辛いだけだ。

「雨で足場も悪くなっている。少し休んでいこう」

 もっともらしい理由をつけて朧が手を引く。また同じ傘に押し込められ肩を抱きこまれた。
 やめてほしいと反論すれば、足場が悪いからと言う。土に足を取られて転ぶなんて無様な真似はしない――そんな反論を考えもつかなかった。それくらい、私の心は乱れている。
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