妖しな嫁入り
「ほらみたことか、震えているぞ。だから早く脱げと言っただろう」

 いけしゃあしゃあと目の前の男は言ってのける。

「も、もう、わかった。一人で出来る!」

 身体をよじって魔の手から逃れることに成功する。さすがに襦袢だけとなった最後の砦を引っ張ろうとはしないかった。妖もそこまでは鬼ではなかったのか、もみ合いのせいで気崩れてはいるけれど。

「傷が多いな」

 何のことかと朧の視線を追えば、攻防の末に露出した私の肩を指しているようだ。ともあれ、まずは衝立の向こうへ避難する。
 襦袢を引き上げ、ふと思う。私の体に刻まれた傷は闘いの証、生き残ってきた成果。それを知る人は、どれだけいるのかと。

「……死にかけたことも、少なくはない」

 ここで話さなければ、一生誰にも知られることはなかっただろう。誰に理解されることもない孤独な闘い。それは少しだけさびしいと欲に負けて口が動く。いずれ狩る相手なら知られて困ることもないだろうと。

「それほど傷だらけになっても、狩ることをやめないのか」

「そんな選択許されない」

「違うな。本人がどうしたいか、気持ち次第でどうとでもなる」

「気持ち……私の気持ち?」

 朧の言う通りなら、選択肢はないと決めつけていただけ?
 逃げれば良かったと言いたいの?

「怖くはなかったのか? 人間は脆く、死を恐れるものだろう」

「死を恐れる、それは苦痛を感じたくないから?」

「そうだな、妖とて苦痛を好むわけじゃない」

「私だって痛いのは嫌。けどそれが私を死に至らしめる妖なら、運命だったと身の程を知るだけ」

「未練はないのか? 死にたくないと……生きて何をしたいという望みはないのか」

「生に縋るほどの未練はない。だから何も問題はない。私の死を嘆く人もいないから」

 期待していたわけではないけれど朧からの返答はない。代わりに衣ずれの音、静かな足運びが近づいていた。無論、それは衝立の奥に身を潜めている私のものではない。
 廊下程の距離があるわけもなく、すぐに足音は止まり身構える。薄い衝立を隔てたすぐ向こうに朧の気配を感じた。もし乗り越えてきたら――無論、拳をお見舞いするつもりでいるが、そんなことはなかった。静かに腰をおろした朧が語りかける。

「なら、俺のために生きてくれ。君がいてくれないと困る」
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