妖しな嫁入り
 何を馬鹿なことを――

 喉まで出かかった言葉は結果として音にならなかった。まるで夢のような台詞。朧はこちら側にいるのが別の女だと錯覚しているのでは。そう思えるほど私が受け取るには相応しくない。

「っくしゅ!」

 沈黙を破ったのは小さなくしゃみ、当然ながら私である。すぐさま着替えに袖を通し始めた。苦笑する朧が憎らしいと同時に、自らの失態に羞恥が湧き何か別の話をと思う。

「この町は」

「ん? 君から話しかけてくれるとは珍しいな」

「独り言」

「ああ、独り言か。ならば勝手に聞き入るとしよう。遠慮なく続けてくれ」

「……私が行ったことのある場所は限られている。そんな限られた場所も、時代の変化には抗えない。景色は、町並みは変わっていく。でもこの町は、あの頃のままだった。少し、嬉しかった。また来られる日がくるとは思わなかったから、懐かしくて。……嬉しいと思った」

 少しだけ、朧が笑ったような気がした。

「何かおかしい?」

「いや。ようやく普通の会話が出来たことが嬉しくてね」

 今日見た物、町並み、野に咲く花。そんな取りとめのない話題が繰り返される。その度に朧は相槌を打ったり、新しい知識を教えてくれたり。こんな風に穏やかに、普通に、朧と普通に会話したのは初めてだった。

 やがて夜の帳が下りる。けれどまだ、雨は止まない。

 こんなことになると誰が予想しただろう。出来ていたなら私は外出しようなどと思わなかった。もしくは武器の一つや二つ隠し持ってきたのに! 浮かれていた朝の自分を殴りたい。
 ああ、いくら後悔しても全てが遅い。まさかの泊まりだ。

 大雨の中、夜道を歩くのはいかに夜目が効く妖とて危険だと朧が説明すれば、私は二言目には反論をした。渋る私に覚悟を決めさせたのは宿の人間で、近くを流れる川の氾濫も危惧されているらしいという。
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