妖しな嫁入り
 続けざまに、もう一方の手が私の顎を掬う。
 月明かりに照らされた妖の顔は美しく、不覚にも魅入られてしまった。女性のように長い髪、けれど触れているのは確かに男だと意識させる力強さがある。

 刀から手を離して距離を取れ!

 懐に忍ばせた短刀を抜け!

 そうしなければと命令を下したけれど、金縛りにあったように動けない。

「君、俺の妻にならないか?」

 私の目はさぞ見開かれ、丸くなっていたことだろう。

「…………は?」

 たっぷりの間を開け、ようやく声が出た。声というか、もはや自分が出したのかもあやふやだ。こんな呆れた音を発したのは初めてかもしれない。

「顔もそれなりとは益々気に入った。嫁の一人も娶れと、周囲がうるさくてね」

 嫁?

 ……待って。

 それは……

 もしかして、妻のこと?

「妻!?」

 もちろん言葉の持つ意味は理解している。斬新かつ衝撃の展開に思考が追いつかないだけ。
 渾身の力を込め自由な左手で妖狐の手を振り払えば、刀と共に意外なほど呆気なく解放された。

「断る! 馬鹿にしてっ――誰が妖の妻になど、なるものか!」

「俺とて人間相手に求婚などしない。だが、君は半分こちら側。このまま妖になれば問題ないだろう」

「侮辱するのはやめて」

「何が気にくわない?」

 やれやれと男は呆れるが、私は呆れを通り越し憤慨している。

「何もかも全部! 求婚にしろ、妖扱いにしろ、全部に決まってる!!」

 私の意見などまるで無視、妖狐は益々満足げに微笑を向けてくる。

「良いことだ。それくらいでなければやっていけない。君の名は?」

 私は無言を貫いた。

「では勝手に名付けて呼んでしまうぞ。そうだな……」

「話を聞きけ!」

 やはり妖には言葉が通じないのか。

「椿、なんてどうだ。美しい名だろう」

「……私の名前じゃない」

「ならば名乗れ。その名で呼ぼう」

 挑発されるような囁きだ。けれど私は名無し。その挑発に乗ることができない悲しい存在。

「椿、妖になれ。俺と永遠の契りを結ばないか?」

 案の定というか、何事もなかったかのようにその名で呼ばれ始めている。

「勝手に決めないで。私は人間、妖は狩るべき存在」

「どうしても、か?」

 意図して艶を増し、強請るように訪ねられた。
 妖は私を惑わそうとしている。惑わされてなどやるものか。
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