妖しな嫁入り
 それだけ言って、朧はあっさり布団へ戻る。君も来るかと布団をめくり隣へと誘われたが、もちろん拒否して私も元の場所へ戻った。


 翌朝は運の悪いことに快晴、これでは日が沈むまで出歩くことは難しい。そんな私に合わせて朧も夜までそばにいると言うが、必要性を感じなかった。一人だろうと二人だろうと時間は過ぎるものだ。

「一人で平気。お前がそばにいる必要はない」

「だが、目を放した隙に逃げてしまうかもしれないだろう」

「私を疑うの?」

「悪かった。気分を害したか?」

「別に。こんなの、お前から受けた仕打ちの中では苛立ちも募りはしない」

「ならば良い方を変えよう。俺がそばにいたいだけだ。屋敷では部屋も別々の上、食事も別だ。こうでもなければ君と共に過ごす機会もないだろう」

 
 宿から出られない私のために、朧は色々なことを教えてくれた。私が退屈しないように、不自由を感じないように。
 例えば室内でもできる簡単な手遊び。それは子どもが戯れにするような幼稚なもので、かつての私なら知ったところで何になると一蹴していただろう。それが行儀良く座り、しかも妖から手ほどきを受けているなんて信じられない。
 あるいは三味線や琴といった楽器を奏でてくれた。朧の指が弦を弾く度に音色が零れ、わざわざ宿の人間から借りてくれたという。


 日が暮れたところでようやく宿を後にする。なんだかんだと一日以上を過ごしてしまった。

「椿、雨とはじつに都合の良いものだな」

 見上げれば満天の星空が広がっているというのに朧は雨の話を持ちだす。都合の良いように全部雨のせいにしてしまった私には納得せざるを得ない言葉だ。

「そう、ね」

 そして私は気付く。雨は都合が良いばかりではない。着物が濡れたり、鬱陶しい傘をさす必要がある。だからこそ人間は雨の日を避ける。それなのに朧は雨の日を選んでくれた。影を隠せるように、人に慣れていない私が疲れないように。

「朧、私……。私はっ――」

 改めて思い知らされる。全部、私のためだったと。
 こんな私に感謝を告げることは許される?
 その言葉を告げたことはある。けれど、これまでとは重みが違うような気がした。朧は言った。許す、許されないの話ではない。自分がどうしたいかだと。私がどうしたいか、それは決まっている。

「あの……」

 私は躊躇いながらも口を開いていた。
 そんな私の気も知らずに朧もまた、口を開くのだ。

「そうだ。一つ言い忘れていたが、ここも妖が営んでいる」

「あり――、今なんて……」

 寸前まで出かかった言葉が消える。
 またこれ!?
 もう雨のせいにはできない、言い訳を探すのに必死になる。
 おかげで告げそびれてしまった。けれど朧の自業自得だと思う。せっかく言えそうだったのに、それを口にできるのはいつになることか。
< 50 / 106 >

この作品をシェア

pagetop