妖しな嫁入り
 後ずさる私を朧は黙って見逃してくれる。

 本当に、どこまでも優しい妖(ひと)。
 気付きそうになる度、見ないふりをしてきた。顔を合わせる度、不安になって。攻撃を仕掛ける度、私はまだ朧を憎んでいると安心していた。
 今だって、心のどこかでは朧に敵わないとわかっていたから。朧なら避けてくれると期待していた。だから身じろぎ一つしない朧に焦りを感じて手を止めた。朧を、傷つけたくなかったから。
 私の気持ちなんて、とっくに見透かされていたけど。

「裏切るのか。影無しよ」

 背後から伸びた手が私を絡めとる。首筋には冷やりとした感触が押し当てられた。

「当主様、何を? 私は当主様に、人にあだなすつもりはありません!」

「黙れ」

 蜘蛛の巣に囚われたように私は逃げられないことを悟る。でも朧は逃げられる。朧が無事ならそれだけで良かったと思えた。

「お前になくても、あやつは知れぬだろう?」

 どうして朧のことを言うの? 私は逃げないのに、朧は関係ないのに?

「のう、妖よ。これが傷つくのが嫌なら黙って従え」

 長いやりとりの間に私たちは囲まれていた。恐らく望月家に関わる人間たちだ。

「こんな女の何がいいのか」

「君らに彼女の良さが解るとも思えん」

 朧は軽口を叩くだけで否定をしてくれない。

「馬鹿にしてっ、お前が従う必要はない。私はお前を狩る! 当主様お願いです! 離しっ――」

 直後、強い衝撃が私の脳裏を揺さぶった。

 いつからだろう。
 とっくに手遅れだった。
 私に朧を殺すなんてできない。

 薄れゆく意識の中、ただ朧の無事を願っているのだから。
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