二度目の結婚は、溺愛から始まる
「ああ、そのようだな」
達筆で「雨宮」と書かれたの看板が笹薮の中に埋もれていた。
世を忍ぶ、というわけではないが、画家として有名な義父の名前を出すと何かと煩わしいことになるため、ふたりは結婚する際に母の苗字を名乗ることにしたのだ。
子どもも肉親もいない、そして浮世離れしている義父は、「戸籍って何? どうでもいいから、一緒にして」と言い放ったとか。
右に折れて脇道に入り、鬱蒼とした坂道を登りきる。
その先に、小ぢんまりした畑と一軒のコテージ、というより「古民家」と言ったほうがしっくりくる建物が現れた。
昔話の絵本に描かれているような家の外観は、わたしの好みど真ん中だ。
「椿! 雪柳さん! こっちよ!」
縁側で義父とお茶を飲んでいた母が、車を降りたわたしたちを呼びつける。
「お母さま! 遅くなってごめんなさい」
「こんな山奥までわざわざお越しいただいて……。迷わなかった? 雪柳さん」
「大丈夫でした。一本道で、看板もありましたし。長い間……無沙汰をしてしまい、申し訳ありません」
「いいのよ、そんなこと。椿のほうが、よっぽどご無沙汰なんだから。それにしても……相変わらず、すてきねぇ。昔とちっとも変わらないわ」
「菫さんこそ。昔よりもさらに魅力的になったのは、幸せに暮らしていらっしゃる証拠ですね?」
「女性を喜ばせるツボを心得ているのも、相変わらずね?」
笑いながらお世辞を言い合う母と蓮は、すっかり打ち解けきっていて、とても長い間疎遠だったようには見えない。
蓮は、そんな二人の様子を傍で見守っていた義父にも、愛想よく挨拶した。
「お久しぶりです、お元気そうですね?」
「うん、君も元気そうだね?」
「はい、おかげさまで。そう言えば、数年がかりで制作されていた寺院の襖絵が完成したと伺ったのですが、もう奉納されたんですか?」
小柄で、派手なことが嫌いな義父は、一見するとその辺にいる普通のおじさんだ。
しかし、日本画家としては超がつくほど高名。
十号サイズくらいの作品に、ウン千万円の値がつく。
襖絵なんて、とんでもない値段がするだろう。
「ああ、うん。ついこの間奉納したよ。ようやく肩の荷が下りた。寺院で、もうすぐお披露目の式典を開くと言ってたね。基本的に、一般公開はしないそうだから、式典が作品を見てもらえる最初で最後のチャンスかもしれない」
「それはぜひ、拝見したいですね」
これまでも義父の作品をいくつか見せてもらったが、襖絵ほど大掛かりなものにはまだお目に掛かったことがない。
「わたしもぜひ見たいわ」
わたしたちの要求に、義父はあっさり応じてくれた。
「それなら、あとで招待状をあげるよ」
「ありがとうございます!」
「さあ、いつまでも立ち話をしていないで、どうぞ上がってちょうだい」