二度目の結婚は、溺愛から始まる
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兄も母も、祖父までもが離婚に反対したけれど、わたしには、蓮との関係を再構築する気力も体力も残っていなかった。
離婚届けはベッドの上で書き、手続きはすべて弁護士を通して行った。
蓮は何度も話し合いたいと言って来たが、離婚を告げた日以降、わたしは一度も彼に会わなかった。
会えば、その優しさに甘え、傍にいてほしくなるとわかっていて、会うわけにはいかなかった。
拒み続けるわたしの意思が固いと知って諦めたのか、蓮は半月ほど経ってから離婚届にサインした。
身体のあちこちを骨折したわたしの入院生活は、二か月に及んだ。
腰と足は再度の手術が必要だったため、リハビリには一年かかった。
何とか普通の生活が送れるほどまで身体は回復したが、心のほうは回復しなかった。
食欲もなく、睡眠導入剤がなければ眠れない。
突然、涙が止まらなくなったり、何かを滅茶苦茶にしたい衝動に駆られたり。
生活のリズムを整えることも、感情をコントロールすることもできなかった。
そんなとき、イタリアに留学した瑠璃から、遊びに来ないかと誘うメールが届いた。
医者にも環境を変えれば気分も変わるはずだと言われ、思い切って日本を離れることにした。
空港で瑠璃の顔を見るなり号泣したわたしは、彼女の婚約者であるジーノが経営するバールで暇つぶしに働かせてもらいながら、心のリハビリに取り組むことになった。
そんな風にして、腰かけ程度のつもりで働き始めたひと月後――。
瑠璃の妊娠が発覚した。
腰かけのつもりだったのに、すっかり彼らに頼りにされ、バールで飛び交う注文をさばく羽目に陥った。
一年のつもりが二年、二年のつもりが三年に延び……再び瑠璃の妊娠が発覚し、ますます帰国が遠のいた。
帰るきっかけもなく、帰りたいと思うこともなく、六年。
わたしは過去を置き去りにしたまま、生きてきた。