熱海温泉 つくも神様のお宿で花嫁修業いたします
(昨日は、料理長がちょうど休憩中だって言われたんだよね……)
その後も部屋の準備や、ぽん太の長話に付き合わされたせいで、未だに厨房に顔を出せていない。
「そうと決まれば私、今からさっそく相談に行ってきます! 料理長にご挨拶もまだだったし、せっかくなのでご挨拶もしてきますね!」
そう言った花は、張り切って厨房へと向かった。
しかし、そんな花の背中を見送るぽん太と黒桜の表情は生憎ながら複雑だ。
「うーむ……大丈夫かのぅ」
「まぁ、なるようにしかなりませんしねぇ」
その声が、足早に去った花の耳に届くことはない。
対して八雲は「ふんっ」と鼻を鳴らすと踵を返して、ひとりさっさとその場をあとにした。
♨ ♨ ♨
「失礼します。料理長さん、いらっしゃいますか?」
美しい中庭を横目に木の香りの漂う回廊を進むと、厨房にたどり着く。
木の枠で囲まれた入口の前で足を止めた花は小さく深呼吸をしたあとで、緊張しながら厨房の奥へと声を投げた。
(あれ……いないのかな?)
けれど、待てど暮せど厨房の中から返事はない。
今日は宿泊予約も入っていないことだし、料理長はどこか別のところにいるのかもしれないと花は一瞬考えたが、中からは昨日も嗅いだお味噌汁の良い匂いと湯気が、ほのかに香っていた。
(火をつけっぱなしで出掛けるなんてことはないよね?)
仮にも料理長ともなる人物が、軽率なことをするとは考え難い。
それでも確認の意味も兼ねて、花は厨房の中へと足を踏み入れた。