熱海温泉 つくも神様のお宿で花嫁修業いたします
 

「風邪を引く前に帰ろう……」


 独りごちて、花は静かに立ち上がった。ここまで不幸が重なると、いっそ清々しい。

 そうして花は、隣でずっと愚痴を聞いてくれた信楽焼のたぬきへと目を向けた。

 どうして熱海サンビーチに信楽焼のたぬきの置物があるのかは謎だが、今は理由を探すことすら億劫だった。


「ありがとう、話し聞いてくれて。あなたも、風邪を引かないようにね」


 もちろん相手は置物なので、返事はない。

 けれど今の花には、"聞き役がいてくれた"ということだけで十分だった。

 花は鞄の中から携帯電話を取り出すと、改めて時刻を確認した。

 これから最終列車に乗って、実家に帰らなければならない。


(もう二十二時過ぎか……)


 遅れた引っ越し屋が運んでくれた荷物は、先程父から無事に受け取ったとの連絡が来ていた。

 帰ってから寝る実家の布団は……もしかしたら、しばらく陽に当たっていないかもしれないが、花にはもうそんなことまで気にする余裕はなかった。

 
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