熱海温泉 つくも神様のお宿で花嫁修業いたします
「あの……っ、やっぱりいいです! お邪魔しまし──」
けれど、花がそう言って極楽湯屋つくもを出ようとしたとき、視界の端に人影が写った。
反射的に言葉を止めて、バッ!と弾かれたように振り向くと、つい先程までは誰もいなかった上がり框に人が立っていた。
「え……あ……、」
「……なぜここにいる」
花の耳を掠めたのは低音が心地良い、落ち着いた男の声だった。
男は濃紺の着物に金茶帯、その上に着物と同じ濃紺の羽織を羽織っている。
背筋の伸びたすらりとした体躯に、花よりも頭ひとつ半ほど高い背。
艶のある黒髪と、均整のとれた目元が印象的な、酷く整った顔立ちをした男だった。