熱海温泉 つくも神様のお宿で花嫁修業いたします
「──まぁまぁ、娘さん。来た早々、そんなに焦って帰ろうとせんでもええら」
けれど、そんな花の足を、聞き覚えのある声が引き止めた。
花がハッとして振り返ると案の定、先程のしゃべるたぬきが男の隣に立っている。
「あ、あ……」
思わず目を見張った花は、声にならない声を出した。
するとそんな花を見てたぬきはニンマリと笑うと、隣に立つ男を見上げて徐に溜め息をついた。
「はぁ……。ほれ、八雲も。お客様に対してその口の聞き方はないじゃろう。いくら相手が人とはいえ、つくもの若旦那たるもの常に余裕を着飾るくらいでないといかん」
短い腕を組み、うんうんと頷くしゃべるたぬき。
どうやら最低男の名は、八雲というらしい。
だけど今の花には、男の名など実にどうでもいいことだった。
(や、やっぱり、しゃべってる……! たぬきなのに二本足で立って、人みたいにしゃべってる……!)
サーッと血の気が引いた花は、その場に足の根が張ったように動けなくなってしまった。
けれどあわあわと狼狽える花を他所に、最低男とたぬきは花のことで揉め始めた。