熱海温泉 つくも神様のお宿で花嫁修業いたします
「……失礼いたします。お食事をお持ちしました」
声の主は間違いなく八雲だった。
不満を滲ませた抑揚のない声は、冷たい印象を聞いた相手に植え付ける。
(なんとタイミングの悪い……。っていうか今更だけど、なんで八雲さんはあんなに怒ってたんだろう……)
花は首をひねったが、原因はひとつしか思い当たらない。
人である花が、この場所にいることだ。
だけど花はその理由だけでは腑に落ちず、八雲はもっと何か別の理由で、花自身を拒絶しているような気がしてならなかった。
「はい、どうぞ」
花が悩んでいるうちに、鏡子が落ち着いた声で返事をした。
するとサッと扉が開かれ、美しい所作で一礼した八雲が膳を持って入ってきた。
「失礼いたします。先程の非礼のお詫びをさせていただきたく、現在つくもの主人を勤めさせていただいております私、八雲が夕餉をお持ちいたしました」
八雲のその言葉と目は完全に、鏡子のみに向けられていた。
(私のことは完全無視ですか……⁉)
あからさまな態度に花はムッとしかけたが、今は素晴らしい温泉と部屋からの眺望に癒やされたあとなので、些細な差別程度は受け流せる心の余裕を持っている。