熱海温泉 つくも神様のお宿で花嫁修業いたします
「今日、この瞬間まで、あなたはよく頑張った。私はそれを、ずっとそばで見てきたわ。だからもう泣いていい。もう、これ以上、我慢する必要はないのよ」
穏やかな口調でそう言った鏡子は、母が娘を見るような眼差しを花に向けている。
鏡子は──母の形見として、花が七つのときに母から譲り受けたものだった。
『辛いときこそ、辛い顔を見せるな』
母の葬式で母を求めて泣く花に、花の父は力強い声でそう言った。
周りはまだ小さい子に厳しいことを言うなと父を責めたが、幼い花は当時の父の真意に気がついていた。
『母さん……っ。これからは俺が花を守るからな……っ』
そう言った父もまた涙を堪え、拳を震わせていたのだ。
母を亡くして辛い思いをしているのは、自分だけではない。
父は父なりに、母の代わりに花を立派に育て上げなければと自分を叱咤していたのだ。
そのとき、幼い花は父を見て思った。
いつまでもメソメソと泣いていたら、父まで悲しみの渦から抜け出せなくなってしまう。
結果、花はそれから涙を流すことをやめたのだ。
その代わり、挫けそうになるとき、泣きそうになるとき、何かに負けそうになるときには必ず、母から譲り受けた手鏡の前で弱い自分を鼓舞し続けた。