熱海温泉 つくも神様のお宿で花嫁修業いたします
 


(ああ……そういえば、"業務の効率化"って、杉下さんの口癖だったな)
 

 板張りの廊下に漂う空気は、ひんやりと冷たい。

 ふとそんなことを思い出した花は、ぼんやりと(ちゅう)を見つめた。

 花の元上司である杉下は、ゲス不倫男であったが仕事はできる男だった。

 だからこそ花も杉下に心惹かれたのだが、今となってはすべてが幻だったようにも思える。

 必死に就職活動をして得た就職先も、僅かな気の緩みが原因でものの見事に失った。

 人生とは実に不思議なもので、昨日は当たり前にあったものが今日も当たり前にあるとは限らないのだ。


(色々落ち着いたら、次の就職先のことも考えないと……)
 

 心の中で独りごちた花は、遠くを見ながら息を吐いた。

 この先、一年間はつくもで働くにしても、その後の見通しは不透明のままだ。

 実家に帰って職を探したとして、都合よく就職先が見つかるとも限らない。

 そもそも改めて考えると、自分は何がしたいのか……花は前職を辞めることになってから、自問自答を繰り返していた。

 前職は実家の父を安心させたいという一心で、とにかく【生涯安泰】と言える企業を選んだのだ。

 結果として、安泰どころか僅か数年で自主退職を選ぶ羽目になったのだが……やはり、人生は何が起こるかわからない。

 
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