俺と、甘いキスを。

椿マリエがペンを取り、離婚届に記入を始めた。
泣き腫らしたその顔はかなり浮腫んでいたが、あの日研究所で見た目力のある大きな瞳を取り戻していた。
「蒼士。アタシ、慰謝料はいらないわ。パパとママに会って、もう一度家族として頑張るの。仕事もデザイナーとして一から出直すことにしたわ。もう決めたの」
彼女はそう言って、書類に力強く捺印した。

右京蒼士は彼女に、
「がんばれ」
と言う。
向けたその切れ長の目は、優しく見守るように。

「うん」
椿マリエは鼻の頭を赤くして、清々しく頷いた。

三条美月は離婚届を確認すると、
「役所へは私が届けるわ。他にも用事があるから」
と名乗り出た。これからやるべき事なのか、ブツブツと呟きながら帰り支度をして、キラリと光る腕時計に目をやった。
「マリエ、役所へ行ってから私の事務所に行くわよ」
と、椿マリエに支度を促す。

三条美月は右京蒼士に軽く手を振った。
「私の仕事はここまでよ。吉報を待ってるわ。それから請求書のこともヨロシクね」
と早口に言いながら、今度は私のところに近づいてきた。

「川畑花さん、ね?こうして会うのは「初めまして」かしら。時間が空いたら連絡してくれる?伝えたいことがあるの。いい?必ず連絡してね」
と、三条美月は美しい顔で微笑んで、私に一枚の名刺を握らせる。
彼女は私に一言も発せさせないまま、踵を返すと椿マリエを連れて慌ただしく去っていった。
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