俺と、甘いキスを。


「僕からも、ぜひ、お願いしてもいいかな」


仕切りの入口から聞こえた声に、私は彼と顔を上げた。
父もその人物を見るなり、
「あなたは」
と、声を上げて立ち上がる。

黒い杖を片手に、ブラウンの厚手のジャケットを着て、美しく光るべっ甲のループタイが上品でよく似合っている。
先日の研究所で出会った、その穏やかな顔を思い出す。もちろん、彼の背後には目で人を殺しそうなくらいの鋭い目つきをした稲森さんが控えていた。

「じいさん」
右京蒼士も祖父の登場は予定に入っていなかったらしく、目を開いて驚いていた。
「ご無沙汰しております、鳳会長」
父は白髪の頭をゆっくりと下げた。そして懐かしそうに、鳳会長を見つめた。

鳳会長はニコニコと父に話しかけた。
「川畑くん、久しぶりだね。元気そうで何よりだよ」
「おかげさまで、僕もすっかり年をとりました」
父は普段は自分を「ワシ」と言うのに、会長の前で「僕」と言っている姿に、私は内心ビックリした。
鳳会長は父が若い頃から既に偉大だったんだ、と。

「君の娘さん、いい子に育ったね」
「もったいないお言葉です」
「誠司の伴侶に、と思ったが、蒼士が熱を上げているようだ。まだ半人前の男だが、二人を一緒にさせてもらえないだろうか」
会長の言葉に、父は困った顔をした。
「しかし会長、うちは農家の端くれの家系です。娘が鳳一族の中でやっていけるのか不安です」
と、すっかり腰を低くして、小さく首を横に振る。
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