俺と、甘いキスを。
この言葉に、ハッと息を飲んで兄を見上げる。
右京蒼士は顔色一つ変えることなく「わかりました。失礼します」と答えると、車に乗り込んで去っていった。
彼の手がピクリと微かに動いたのは、隠れた動揺だったのかもしれない。
家に入ると、両親は本当に留守にしていた。その代わりに職場の近くに部屋を借りて独り暮らしをしている、滅多に帰ってくることのない兄が、今日に限って家にいるなんて。
なんてタイミングだろう、とため息が漏れた。
私は、あまり兄を好きじゃない。
自分の部屋に行く私を、兄は呼び止めた。
「お前、あの男と変な関係じゃないだろうな?」
その言い方に、ムカッとした。
「だったら何?私がどうなろうと関係ないでしょっ。都合のいい時だけ兄貴面しないで!」
──私の気持ちなんて、知らないくせに。
痛む足を引きずって、部屋に逃げ込んだ。
今日くらい、ほんのりと右京蒼士の思い出に浸っていたいのに。思いがけない兄の登場で台無しだ。
窓を開けると、ひんやりした空気が部屋に入り込んでくる。思い切って吸い込んだ空気を、白い息となって吐き出す。
ここは田舎。都会の空気よりは澄んでいるので、星が幾分綺麗に見える。
──右京さん。
お見合いの日までに、あなたを忘れなければならないのに。