俺と、甘いキスを。
私の立つ位置と白い建物の間は約二メートル。
肌を刺すくらいの冷たい風の吹く中で、そっと目を閉じた。
右京蒼士を好きになったのは五年前。いや、本当は彼が入社した、あの日からだったかもしれない。
彼を知るきっかけになったのは、その日、新入社員の制服や備品を大きな段ボール箱に詰めて階段を上がっている時に、踏み外して転びそうになったのを助けてくれたことだった。
段ボール箱で前が見えない体が倒れそうになったところを、間一髪で抱き止めてくれたのが彼だった。
「あっぶねぇな…」
頭上で呟いたあと、ちゃんと立たせてくれた。
透きとおるような白い肌の、切れ長の瞳がすぐ近くにあった。
すごく、綺麗な顔だ、と思った。
「あ、ありがとうございました」
心拍数が上昇しているのは「気のせいだ」と思い込んでお礼を言った。
「気をつけろよ」
と、見た目からして私より若い彼は、まるで私を年下扱いした。私の頭をそっと軽く一撫でして、新入社員研修の部屋へ入っていく。
後で知った彼の名前。
本社に勤務している右京部長の弟。
日毎に広がっていく彼の噂。
けれど、だからといって何も変わらない、私の日常。
そして翌年、右京蒼士は結婚した。
まだ売れる前の、デザイナーの卵として勉強中だった椿マリエとの突然の結婚に、研究所中が騒然とした日が続いた。しかし当事者は特に新婚を惚気けるわけでもなく、不思議といつもどおり仕事をしていた。
彼があまりにも平然としているので、結婚はデマだという噂もあったが、彼の左手薬指に嵌められたそれは現実を主張していた。