ぜんぜん足りない。
そんな心の声を知るはずもないこおり君は、返事もせずにスマホに目を落としていた。
──かと、思いきや。
「やっとく?」
こちらに視線を寄越して、そうひと言。
意味がわからすに首を傾げるわたしを映した綺麗な黒目が、わずかに細められた。
「遅刻するような時間じゃないし」
「……へっ、……え?」
パチ、と音がしたかと思えば、それはこおり君が【閉】のボタンを押した音で。
すうっと静かに扉が閉まると、再びふたりきりの空間になる。
「そういえば。昨日だけ連絡来てない、桃音から」
こおり君がわたしの横髪をすくって耳に掛けた。
なんかあった? って、心なしか優しい声が聞いてくるけど、わたしの意識はその指先に集中してしまっていて、
「ねえ、聞いてんの?」
「あ、え……」
「……、まあいいや。ほら、こっち向いて」
口元に添えられた手が、やんわりと上を向かせる。至近距離、捉えられて動けなくなる。