ぜんぜん足りない。
「あー、残念。先客いたね」
耳元で囁いたこおり君からは、焦りの「あ」の字も感じられなかった。
中の人たちのほうが断然悪いのに、ここで立ち聞きしてるわたしたちがいけないことをしているみたいな気持ちになるのは、なんでだろう。
引き返さなきゃと思うのに、このあとどんな顔をしてこおり君と向き合えばいいのかを考えたら、固まってしまって。
そんなわたしの心情を知ってか知らずか、意地悪な顔がのぞき込んでくる。
「顔真っ赤」
「うう……」
「興味あんの?」
「っ、……そういうんじゃ、ない、よ?」
「その困った上目づかい、結構クるからやめたほうがいーよ」
そう言って、わたしのほっぺたをぐいっとつねった。
「中の声に煽られて、おまえじゃなかったら襲ってたかも」
薄く笑ったこおり君。
色っぽい…と客観的に感心したのはほんの一瞬。
なんで今、アッサリそんなこと言うの?って涙がこぼれそうになる。
わたし、今までこおり君とのそういうイチャイチャ、ひとりで何回も想像してたよ。
できる機会は何度かあったけど、拒んだのは、気持ちが繋がってないから。
にせものは要らないの。
いつか両想いになれたとき、できたらいいなって夢見てたのに……ひどいよ。
前を行くこおり君の背中が、滲んで見えた。