独占欲強めな御曹司に最愛妻として求められています~今夜、次期社長は熱烈求婚を開始する~
仕事


 いつものように順調に仕事を進めていた雫は、昼休み後突然課長の田中に呼ばれた。

「役員会議が明日に繰り上げになっちゃってね。資料を今日中に作成して欲しいんだけど、お願いできるかな?」

 社長の海外出張が都合で繰り上げになり、役員会の日に重なってしまったため、急遽明日の朝の開催に変更となったらしい。

「承知しました」

 こんな予定変更などよくある事だ。いつものように淡々と要点だけ確認し席に戻る。

「……あ」

 しかし、席に戻ったタイミングで今日はいつもと違う予定が入っていたことを思し、小さく戸惑った声を出してしまった。

 元々雫がまとめる資料ではあったが、役員会は来週だったのでまだ作成に取り掛かっていなかった。
 今日これを優先してしまうと今日中に切って経理に提出しなければいけない手元の支払い伝票類が後回しになってしまう。
 伝票類は締めがある上、先方の都合で提出されるのがギリギリになる事が多い。自分でコントロールしにくい業務なのだ。

 しかも、先方への支払いに直結するため疎かにも出来ない。もっとも雫はどんな仕事も疎かにはしないが。

 いつもなら残業してでも終わらせるのだが、今日は羽野に夕食を作るため定時にあがって食材を買ってから帰ろうと思っていた。

 どうしようか。遅くなっても良いか連絡しておこうかなどと思案している雫に声を掛けていた人がいる。

「ねぇ、安藤さん、その伝票私切ろうか?」

 斜め前の席に座る関田ゆかりである。遠慮がちにこちらを伺っている。
 アンドロイドに異常が発生したことをいち早く察知したらしい。

 8年前に経営統括部に異動してきたという関田は落ち着いていて仕事の出来る女性だが、美人で服装のセンスも良い。
 たしか、社内結婚して子育てしながら共働きしていると聞いた事がある。

 そんな関田に負担を掛けたくない気持ちもあり、今まで申し出はお断りしていた。

「いえ」

 ――大丈夫です。と言おうとしたが、ふと昨日羽野に『仕事はチームでやる』と言われた事が頭をよぎり、とっさに言葉に詰まってしまった。

 珍しくはっきりと断らない雫に関田は勢いを増す。

「いつも安藤さんはこうやって急ぎの仕事対応してくれるじゃない。私、伝票くらい切れるわよ。ホント任せて」

「でも、関田さんお家の事……」

「もしかして、そんなこと気にしてたの?大丈夫よ。これやっても定時内で終わるし、残業したとしてもうちの子もう大学生だから」

「え?お子さんまだ小さいかと思ってました」

 関田さんって30代じゃないんですか、と思った事をついそのまま言ってしまった。

 彼女は驚いたような顔をしたが

「やだぁ。何言ってるのよぁ」

 と、体をクネクネし始め雫は驚く。仕事が出来て落ち着いた雰囲気の彼女がこんなキャラだったとは。

「安藤さん、私もう45よ。だから、そんなこと気にしなくていいのよ」

 小声になりながら、関田は嬉しそうだ。

「45……」

 雫も思わず小声になる。その若々しい表情はやはり45歳には見えない。

 彼女は立ち上がると「これは私がやるから」とやや強引に雫のデスクから伝票のファイルを取る。

「嬉しいわー」

 関田は声を弾ませる。

 嬉しい?仕事を振られて嬉しいなんて思うのだろうか。 

「安藤さんって普段仕事は全部責任持ちます!って感じで脇目もふらずに処理をしていて、完ぺきにこなしてて、何というか……気を悪くしないでね?人を寄せ付けない雰囲気を醸し出しているけど、実はツンデレ?なんじゃないかって思ってたのよ。ほら、ペンギンの絵が入ったマグカップ使ってたり、たまーに机に脚ひっかけて躓きかけてたり、垣間見えるカワイイ要素が堪らなくてね。いつかデレが出るんじゃないかって妄想し萌えてたの」

 安藤さんを密かに愛でるのが私の会社での楽しみだったのよ。だから信用して仕事は任せて!と興奮気味に言う。

「……」

 なんだろう。そのマニアックな楽しみは。

 確かにペンギンのキャラクターが好きでつい買ってしまうし、ぼんやりして躓くこともある。

 なにも無かったかのようにごまかしていたつもりだったのに、見られていたとは。恥ずかしくてしょうがない。

 ともかくお礼は言わなければ。

「あの……ありがとうございます」

 うつむき気味に何とか言葉にする。その仕草が関田にヒットしたらしい。

「きた、デレ!安藤さんやっぱりかわいい。それに最近ちょっと雰囲気が柔らくなったわよね。うちの息子の彼女にしたわぁ。ねぇ、年下は嫌?」

「え?あの」

「母親が言うのもなんだけど、理系のイケメンよ。背も高いし、趣味はスポーツ観戦、現在彼女無し。今度会ってみない?よくいる今時の女の子より安藤さんみたいな落ち着いてて気の利く子の方が合ってると思うのよね」

 なんのスイッチが入ったのか、迫るようにプレゼンを始めた関田にタジタジになってしまう。

(どうしよう。こういう時何て言っていいかわからない……)

「関田さん、落ち着こうか。安藤さんが困ってるよ」

 困惑していると、後ろから声がした。振り向くと羽野が立っている。

 柔和な笑顔を湛えてはいるが、部下を注意する上司の顔だ。業務中に騒いでしまったのだから当然だろう。

「安藤さん、役員会の資料、急ぎなんだよね?」

「羽野さん。はい……すみません」

 関田と一緒に頭を下げる。

「失礼しました。ごめんね~安藤さん。私が興奮しちゃったから……じゃあ、これやっておくから」

 申し訳なさそうに言ってから関田がファイルを持って自席に戻っていくのを半ばポカンとして見送る。

 こうやって、職場でプライベートな話をするのは初めてだったかもしれない。ほとんど関田が一方的に話していた気もするが。

「良かったね、安藤さん。今日は定時で帰れそうだね」

 今度はにっこり笑うと羽野はそう言い残して居室を出て行く。

 確か今日は夕方まで会議続きで、居室にはいないはずだったのに、合間で戻って来たのだろうか。
 不思議に感じたが、目の前の資料を仕上げなければと気持ちを入れ替えた。

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