独占欲強めな御曹司に最愛妻として求められています~今夜、次期社長は熱烈求婚を開始する~
親友
 カタカタカタ……

 12時まであと10分。

 既に仕事の手を止めて昼休みモードに入っている社員も多い。立ち話を始めた者もいる。

 そんな中、一切緊張を解かずにパソコンのキーボードとマウスを操り続ける社員がいる。

 安藤雫(あんどうしずく)、25歳。ここ、株式会社Hanontecに入社し4年目となる。

 Hanontecは、国内屈指の測定機器測定機器メーカーであり、その品質は大手製造や開発メーカーを中心に信頼が高く、盤石な経営を進めている。

 近年は国内に留まらず、欧米を中心に海外への販売拠点を拡大している。

 コミュニケーション力が高いとは言えない雫がその本社の花形部署である経営戦略部の企画課に配属されたのは、ひとえに事務処理能力の高さ故だった。
 入社当時からその驚異的な集中力は注目され、新人ながら抜擢された。

 158センチで、色白で体形は華奢な方。肩下まである黒髪は、黒いバレッタで頭の後ろで一つに纏められ、服装も飾り気の無い落ち付き過ぎたもので統一されている。

 これといって特徴の無い顔立ちで、化粧映えする訳でも無いし、映えようと思っている訳でも無いので、メイクも社会人として恥ずかしくない最低限の事しかしていない。

 カタカタカタ……

 無表情のまま、背筋を伸ばし脇目も振らずにものすごい量の仕事を処理し続ける様子から、
雫は社内で「アンドロイドの安藤さん」と揶揄されている。

 だが、仕事はやりがいがあるし、周囲との距離感も取れている。これが雫の平和な日常。

 昼休みまでに切りのいい所までやってしまおうとパソコンに向かいなおしたその時、
社内会議から戻って来た課長の話が耳に入りマウスを持った手が止まった。


羽野奏汰が来月シアトルから帰国し、経営戦略部の部長となる――

 居室内が驚きと女性社員の歓声につつまれた。


……羽野さんが帰って来る?





「どうしたの、雫、なにかあった?」

 三上沙和子(みかみさわこ)がスタンダードランチのサラダを一口食べながら雫の顔を覗き込む。

 昼休みになり社員食堂の窓際のカウンター席にふたりで並びながら昼食を食べ始める。

 沙和子は早々に雫の様子が普段と違うと感じたらしい。さすが長い付き合いだ。少しの変化も見逃さない。

 女性らしいメリハリのあるスタイルに、華やかだが上品な顔立ち。艶のあるブラウンに染めた髪を軽くカールしている沙和子は人付き合いが苦手な雫にとって、社内唯一の友人だ。

 彼女の父は不動産会社を経営しており、見た目も家柄も「お嬢様」である。

 二人の友人関係は高校の時から始まった。高校3年の時、初めて同じクラスになり、
それまでほぼ接点のなかった雫に沙和子が声を掛けてきて以来、ずっと付き合いが続いている。卒業後は別々の大学に進んだが、お互い何でも話せる仲だ。

 就活にあたり雫がHanontecの採用試験を受けると聞いた沙和子は『コネを使ってでも同じ会社に入る』と豪語していたのだが、コネなど使わなくても実力で入社を決め、秘書課に配属されている。

 雫が好奇の目に晒されていた「あの頃」完全に孤立していた自分に何故声を掛けてきたのか、同情だったのかと聞いたことがあったが
『うーん?気が合うと思ったから?』と何とも無しに返された。

 明るく前向きで誰からも好かれる沙和子と地味で面白みもない自分。容姿も性格も正反対だが、雫は彼女を妬んだりした事は一度もない。数少ない大事な友人だと思っている。


 そもそも、沙和子がいなかったら雫は高校を卒業できたかもわからなったのだ。



「羽野さんが帰って来るって……」

 雫は項垂れながら先程課長から聞いた話をする。

「え!そうなの?賢吾さん、何も言ってなかったけど」

「今日情報解禁になったみたいだよ。彼女とは言え、人事情報を早々に漏らすわけにもいかなかったんじゃない?」

 沙和子のいう『賢吾さん』とは崎本賢吾といい、29歳という若さで営業部第一営業課の課長になり、近々営業部長になると目されている人物である。

 長身と涼しげで整った顔立ち、冷静沈着に仕事を進めながら、周囲への気遣いも欠かさない。人望も厚く、特に女性社員からの人気は絶大だ。

 そんな崎本に入社早々惚れ込まれた沙和子は、あの手この手で攻め落とされ、付き合い始めてもう2年以上たつ。

 まさに美男美女のお似合いのカップルだ。当時超優良物件の崎本が付き合い始めたということで、彼を狙っていた数多の女性社員の落胆ぶりはすごかったが、相手が沙和子であったことや、崎本の沙和子に対する溺愛ぶりに、早々に諦めたようだった。

「ふーん、そうかぁ。『海営部の王子様』ご帰国とゆーことね」

「……そんなに気楽に言わないでよ」

 雫はモソモソと和ランチセットのサバの味噌煮を口に運ぶ。
気のせいか今日のサバは少しパサついている気がする。

「確か5年はかかるって言われてたけど、まぁまた随分と早まったのね」

「そうなの。こんなに早く帰って来るとは思ってなくて」

「ふーん。雫に復讐するために帰って来るんじゃない?」

 沙和子はからかうような笑みを浮かべる。

「え、復讐?そんな事……」

 雫はドキリとする。

「復讐とは言わなくて、仕返しくらいはね」

「復讐と仕返しは同じ意味だよ……」

 それは考え過ぎだ。曲がりなりにも将来会社を背負って立つ人が復讐だなんてするわけがない……と思いたい。

「あー。今更だけど、何であんな事やらかしてしまったんだろう……」

 雫は深くため息を付く。悔やまれてしょうがない。

 そして、2年前の出来事に思いを馳せた。

< 2 / 34 >

この作品をシェア

pagetop