独占欲強めな御曹司に最愛妻として求められています~今夜、次期社長は熱烈求婚を開始する~
翻弄-奏汰

「……やってしまった」

 奏汰が溜息交じりに肩を落とすと、隣で賢吾が驚いたような声を出す。

「やってしまったって、お前、とうとう雫ちゃんに手を出したのか?」

「……お前はその呼び方をするな」

「おっと、すまん……おい、そんな顔するな。『王子様』が台無しだぞ」

 横目で睨む奏汰に賢吾がわざとらしく言う。

「俺はもうすぐ三十になろうとしているのに『王子様』は無いだろ」


 誰もいない休憩所で、缶コーヒーを飲みながら二人は肩を並べベンチに座っていた。

 女性社員垂涎ものの美形の2ショットだが、たまたまなのか、今休憩所には誰もいない。
 打ち合わせが終わった奏汰が取引先に出かける前に一息ついていると、丁度賢吾もやって来たのだ。

 国内営業課長の崎本賢吾とは高校時代からの親友でもある。

 国内屈指の私立大学の付属高校において、ふたりは常にトップを争う成績でライバルだったが、気も合った。親友と呼べる間柄になってから久しい。

 賢吾の実家も事業を営んでいるが、三男の彼は『お前と一緒に会社を回せた方が面白い』と言って、Hanontecに入社したのだ。近い将来彼も会社の中枢を担う事になるだろう。

 賢吾は奏汰にとって本音を言える数少ない人間なのだ。

 奏汰の雫への気持ちも重々知っており、大体の現状は知っている。

「お前の思うようなことは『やって』はいないよ」

「一緒に暮らしてて手を出してないんだろ?沙和子の親友を傷つけて貰っちゃこまるが、男としては正直、どうしたんだと思うけどな」

「……賢吾、お前に」

「ん?」

「お前にわかってたまるか」

 奏汰の昏い表情を見た賢吾はマズいと感じて素直に謝る。

「……悪い」

「警戒されるのも困るが、信頼され過ぎるのも辛いもんなんだよ」

「忍耐強いな、お前」

 気の毒そうに言う賢吾に奏汰はため息を付く。

「そうでもないよ」



 雫の唇を無理やり奪ってしまった。

 彼女は昔のトラウマから男が苦手だと知っていたのに……止められなかった。

 昨日の定時後、廊下で松岡と立ち話をする雫を見かけた。

 それだけでも面白くないのに、ふたりの距離が妙に近い上雫の顔が恥ずかしそうに赤くなっている。

 無防備な顔を松岡に見せている事に焦りを覚え、思わず割って入ろうと一歩動いた時、雫は松岡から離れ早足で去っていった。

 置いてきぼりになった松岡は無視し、さりげなく雫の後を追った。ファイルを持っていたから資料室だとわかっていた。

 そして思わず彼女を問い詰めてしまった。

 「いつまでも、お世話になっているのはご迷惑ですから」と言われて、さらに平静でいられなくなった。

 自分たちはそれなりに一緒の時間を過ごし、心も近づいていると思っていた。ここまで来て一線を引かれるのが辛く、彼女を手放したくない気持ちばかりが溢れて、気が付けば追い詰めて――

 『キスするよ』と咄嗟に前置きしたが……意味は無かっただろう。



 ――自分がこんなに独占欲が強かったとは。

 奏汰は整った顔に自嘲めいた表情を浮かべる。

 雫と暮らし始めて、日常が色づいたように楽しくなった。

 会社でも家でも彼女の存在を感じる事が出来る。シアトルにいた時の事を考えると幸せでしかない。

 向こうでは早く日本に帰りたいことが仕事へのモチベーションになっていたが、今は違った意味で仕事へのやる気が漲っている。

 雫は家庭的な女性で夕食まで作ってくれる。それもかなり美味しくて、栄養バランスも考えられている。無理をさせたくないと思いつつも、奏汰は雫が早めに帰れる日は極力付き合いは避け、家に仕事を持ち帰ってでも雫と食卓を囲んでいる。

 当初は緊張していた彼女も徐々に共に過ごす時間に慣れてくれた。緊張感がかなり薄れてきている。これこそ彼女をマンション呼び寄せる為に苦し紛れに必要だと言った『他人じゃない雰囲気』に近いものだろう。

 何気なく交わす会話、はにかんだ笑顔。ホッと気が抜けた表情。全てが愛おしかった。

 しかし、彼女が可愛いだけに己の理性と戦い続けるのも……正直辛い。

 吸い込まれそうな黒い瞳で見上げられるたび、箍が外れそうな自分を律していた。
 彼女に警戒されないよう、髪や頬に触れるだけで我慢していたが、それが返って劣情が蓄積させた気がする。

 彼女のトラウマとなった過去の話を聞いた時、苦しめた人間を探し出して社会的に制裁してやろうかと思うほど、怒りが込み上げた。

 そんな事は彼女は望んでないだろうから実行はしないが、少しでも気持ち軽くしてやりたかった。

 もう一切過去に囚われて欲しくない。笑っていて欲しかった。
 胸の中で震えて泣く彼女を一生守っていこうと勝手に誓った。

 しかし、まだ自分の気持ちは言えなかった。弱っている彼女に付け込むことになってしまうと思ったから。

 自分を信じて頼ってくれている彼女を裏切るわけにはいかない。
 抱きしめた腕の中で泣き疲れて寝てしまった彼女に『好きだよ』というのが精一杯だった。

 その代わりでは無いが、起きない彼女を役得とばかり自分の部屋に運んで一晩中天使のような寝顔を見続けた――一晩中我慢も強いられたが。

 信頼されたいが、男として安心されすぎるのも辛いという、どうにも複雑な状況に陥っている。

 今、彼女は少しづつだが、変わろうとしている。

 以前より社内の人間と言葉をかわす事が増えたようだし、服装も明るくなってきた。

 奏汰のプレゼントした服は恐ろしく似合った。元々持っている彼女の清楚な雰囲気を引き立てた上、柔らかく可愛らしい女性であることを周囲に知らしめている。

 素直に嬉しい一方『しまった』とも思う。
 良い事だ。良い事なはずだ。彼女が前向きになることも、綺麗になる事も。

(だがな……)

 奏汰はまた溜息を付く。

 アンドロイドなどと呼ばれていた雫が目に見えて変わって来たのだ。周囲から注目されるのも無理はない。特に男に。正直、面白くない。

 松岡など、完全に彼女を狙っている。たぶんあいつは以前から彼女の可愛らしさに気づいていて、焦っているに違いない。

 雫を手放すつもりは無い。

 彼女も自分に気を許してくれているし、おそらく自分を憎からず思ってくれているとは思う。

 唇を重ねた時、最初は驚きで堅くなっていたが、次第に身を委ねてくれるような雰囲気を感じた。
 あの時、父からの電話が無ければ歯止めが利かなくなったかもしれない。
 電話が掛かって来た時はタイミングの悪さに心底父を恨んだが、結果的には良かったのだ。

 
 いつの間にかコーヒーは生ぬるくなっていた。

「正直、いつも余裕な顔しているお前がそこまで何かに振り回されるのは、面白くもあるな」

 奏汰が黙って考えている様子を見ていた賢吾はニヤリと笑う。
 普段真面目でポーカーフェイスな男だが、自分にはこういう一面を見せる。

 奏汰は苦笑いする。

 恵まれた環境に生まれたという自覚はある。

 祖父が興し、父が守って来て会社を自分が引き継ぐのは自然の流れだと思っていた。ただ、それを強要されたことも無い。自らの意志でHanontecにいる。

 自分に能力が足りず、他に会社を継ぐのに適した人材がいれば自分がトップに居なくても良いと冷静に思っていた。

 もちろんそうならないよう、それなりに努力はした。
 子供の頃から勉強も運動も何でも卒なくこなす事が出来たし、評価もされた。元々気性が激しい訳でもない。気づけば柔和で人当たりの良い『王子様』が出来上がっていた。

 一方、何かにのめり込んだり、我を忘れて求めたりすることは無かった。所詮お坊ちゃん育ちだという事だろうか。執着心というものが無かったのだ。それは女性に対して同様だった。

 しかし2年前の夜、不意を突かれ格好悪く身を投げられ、驚きで無様に見上げる事しかできなかったあの刹那、自分を組み敷いた雫の凛とした美しさにと真っすぐ挑むような瞳に釘付けになった。そして心の奥まで見据えられた気がした。

 それは自ら作ったプレッシャーでさえも距離を置くスタンスで上手くやり過ごそうとしている自分の弱さだったのでは無いかと、今は思う。

 気付いたのだ。それで良いのかと。欲しいものはなりふり構わず手に入れに行けばいい。
 だからあの後シアトルで我武者羅に働いたし、今は必死に雫を繋ぎとめようとしている。

 彼女に名前で呼ばれただけで舞い上がり、他の男にはみっともなく嫉妬する。正直格好悪い。

 でも、今のそんな自分が嫌いではないのだ。


 ――それにしても。

「……婚約者のフリなんて、そもそも頼まなければよかった」

 つい、声に出てしまった。

 彼女を取り込みたい一心で、婚約者のフリをあたかも仕事のように頼んだ。

 それによって真面目な彼女を誤解させてしまった。フリなんて頼まず違った方法でアプローチすべきだったかもしれない。

 どんなに態度や言葉の端々に好意を滲ませても、伝わっていない。全てフリの為だと消化されてしまっている。

 一緒に住んで彼女を攻略しようと思っていたのに、完全にこちらが翻弄されている。このままでは空回りしてしまうばかりだ。

 今夜、はっきり自分の気持ちを伝えよう。
 ストレートに言葉にすれば、さすがの彼女にも通じるはずだ。
 
 奏汰はコーヒーの缶を持つ手に力を込めた。

 賢吾は親友をしばらく見守った後、励ますように肩にポンと手を置いた。

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