独占欲強めな御曹司に最愛妻として求められています~今夜、次期社長は熱烈求婚を開始する~
帰国

「心配してわざわざ様子を見に来てくれた羽野さんを、いきなり一本背負いで沈めた上逃亡し、その後2年間被害者が日本にいない事をいーことに、現在まで知らんぷりを貫いている。まとめると、こうだったわね」


 定食を食べを終え、雫と沙和子はそのまま話込む。

 今日の社員食堂はそれほど混んでいないので、居座っていても迷惑にならない。

「一本背負いというより体落としかな……」

「そんなんどっちだっていいわ」

 バッサリと言われてしまった。

 たしかに、沙和子が言うようなことを2年前に雫はしでかしてしまったのだ。

 今思えば酔いで正常な認識が出来ず、嫌悪感だけで、昔取った杵柄的なものが発動してしまったのだ。

 派手な投げでは無くて、彼の体重を利用して前に投げだした形だ。頭も打っていなかったし、ケガもなかったようだが……普通に考えて許されることでは無いだろう。

 しかもパニックになって一目散に逃げてしまった。



 帰国する彼は経営戦略部長の職に就く。直属では無いが組織的に雫の上司となる。

「ま、とにかく今からでも謝った方がいいわね。2年前に投げちゃってごめんなさーいって。なんせ、御曹司よ。あんたをクビにするのも地方に転勤させるのもやろうと思えば簡単に出来るんじゃない?」

「……」

 思わず口ごもる。そうなのだ、彼は管理職であり、きっと次期社長だ。入社4年目の下っ端社員なんて理由をつけてクビなり飛ばすなり軽く出来るだろう。


 2年前に羽野が渡米した後、何か沙汰があるのでは、とビクビクしていたのだが、何もなかったため安心してしまっていた。プロジェクトは5年はかかると言われていたし、帰国する頃にはほとぼりが冷めているのではないかと。

 しかし、彼は2年で帰って来る。しかも所属組織の責任者に昇進して。

 自分に無礼を働いた上で素知らぬ顔をしている人間が部下として職場にいたらどう思うだろう。普通に考えて不愉快だし目障りに決まっている。

「沙和子……どうしよう」

 雫は涙目ですがるように言う。

「ホントに雫って普段仏頂面してるのに、私だけには素直で可愛いわよね。私としては満更でもないけど、もっとそういうとこ出していけばいいのに……あ!もうこんな時間」

 気付くと昼休みは残り10分を切っていた。慌ててトレーを手に立ち上がる。痛々しい思い出に浸るには昼休みは短すぎた。

「またゆっくり話聞くよ。あ、そうだ。帰り遅くならないようにね。雫の家のあたり、最近物騒って言ってたじゃない」

「うん、ありがとう。気を付ける」

 ふたりはトレーを戻し、それぞれ午後の業務に戻った。





 気が重くても、それを仕事に影響させないのが雫だ。

 ひとたび仕事に臨めば、スイッチが入り驚異の集中力を発揮する。順調に本日の業務を終え、1時間ほどの残業で帰宅の途についた。

 雫が一人暮らしをするアパートは会社の最寄り駅から一度乗り換え、さらに8駅ほど先にある。通勤は決して楽では無い。

 本社は都会の一等地にあるため、近くに住もうとすると、どんな狭い間取りでも高額の家賃になってしまうのだから仕方ない。

 娘の一人暮らしを両親も兄もとても心配したが、実家から会社はとても通える距離では無かったので、セキュリティが整っているというこの女性専用の賃貸アパートに住むことで納得させた。

 しかし、最近この近辺で帰宅途中の女性が襲われた事件が何件か発生しているらしい。注意喚起のチラシがアパートの掲示板に貼ってあり、ポスティングもされていた。

 そんなこともあり、雫は極力早めに帰宅するようにしている。

(アパートがセキュリティ整ってても、まわりが物騒じゃね)

 雫はため息を付きながらアパートのドアを開ける。

 1Kのごく一般的な単身者用の部屋。浅築でトイレバス別。日当たりも良いので住み心地は良い。

 この部屋と会社との往復が雫の日常のほぼ全てだ。休日はたまに実家に帰ったり、沙和子と出かけたりするが、基本ここでのんびり過ごす。もちろんデートをする相手もいない。

 今まで男性と付き合ったことも無いし、高校生の時の出来事が切っ掛けで、仕事以外で男性とうまくかかわることが出来なくなってしまった。 

 雫の両親は仲が良く、6歳年の離れた兄は自分を過剰なくらい大事にしてくれた。今でも何かと電話を掛けて来て雫の無事を確認してくる。

 そんな暖かい環境で育ったので、自分もいつかは幸せな家庭を持ちたいという漠然とした憧れがある。それに、仲が良い沙和子と崎本の姿を見ていると、自分にも恋人がいたら良いなとも思わなくはない。

 だが、男性が苦手な上、こんな面白みの無い自分を好んで選んでくれる人なんて、いないだろうと早25歳にして諦めの境地に足を踏み入れかけている。


「ただいまー、サボ丸」

 窓際のチェストの上に小さなサボテンが飾ってある。

 去年駅前の花屋でこのサボテンを見かけ、妙に心惹かれて購入した。コロンとした形で白っぽい棘に包まれているが、案外柔らかくて触っても痛くない。「ダシアカンサ」という種類らしい。

 丸い形から「サボ丸」という名前を付けて大事に育てている。大事と言ってもたまに水をやるだけだが。

「サボ丸……どうしよう。やっぱりまずは謝らなきゃだよね」

 サボ丸は一人暮らしの雫の話し相手になってくれている。もちろん返事がある訳では無いけれど。

「今更って感じだよね。合わす顔が無い……」



 雫はサボ丸の棘をそっと撫で本日何回目かのため息をついた。


 

 月が変わり羽野奏汰が赴任する日が来た。来てしまった。

 雫は朝から気が重かった。いっそ休んでしまいたいと思ったが、真面目だけが取り柄な雫がズル休みなど出来るはずは無く、通常通り出社した。



 パソコンの電源を入れて指紋認証でログインしていると後ろから声を掛けられた。

「雫先輩!朝からすみません」

 振り向くと若い男性社員がノートパソコンを開いた状態にしたまま両手に持ち立っている。

 彼は松岡拓海(まつおかたくみ)といい、雫の2つ後輩で、営業部に所属している。

 二重の大きな目が印象的なアイドル風の容貌で、見た目に違わず人懐っこい。

 雫に対しても『雫先輩』と名前で呼ぶ位なので相当コミュニケーション力に長けているのだろう。可愛いと女性社員から人気も高い。

 新入社員研修の時、入社2、3年目の社員がデータ管理方法の基礎を教えたのだが、彼の担当になったのが雫だった。それ以来パソコン関係でわからない事があると何かと雫に聞きに来る。

 わざわざ自分に聞きに来なくても営業部で詳しい人もいるのでは、と思うが「雫先輩が一番わかりやすく説明してくれるから」と言って頼ってくるのだ。

「この値をこっちの一覧からデータ引っ張って来たいんですけど上手くいかなくて」

「どこの値ですか?」

 仕事モードになった雫は松岡のパソコンを覗き込む。

「この、売上高の所にそれぞれ集計させた値を引っ張って一気に表示させたいんです」

 関数を確認するとすぐに原因がわかった。

「このセルの関数が絶対値になってないから。セルの頭に$を付けて…」

 説明しながら2人で彼のパソコンを覗き込んでると急に居室内がざわついた。

「うっわ!すっごいイケメン。あれが噂の御曹司ですか?」

 顔を上げた松岡が驚いた声を上げる。雫もつられて視線を上げると前部長と連れ立って入って来た人物

 ――羽野奏汰がいた。

 心臓が跳ね上がる。松岡が思わず漏らしたように、相変わらず整った容姿だ。

 2年前はもう少し線が細かった気がするが、精悍さが増してさながら俳優のようだ。

 長身に濃紺のスーツを颯爽と着こなしている。

 前部長に促され長い脚を一歩前に進めて口を開く。

「羽野奏汰です。先週シアトルから帰国しました。今日から経営戦略部長としてお世話になります。僕の方針等はまた別にお話ししますが、経営戦略部は会社の中枢を担い、会社の舵取りに重要な組織だと思っています。向こうで得た経験を活かしならみなさんのお力を借りてさらにHanontecを発展させていきたいと思います。お力添えをよろしくお願いします」

 御曹司だが、腰が低い。それも嫌味が無い。これも彼が人望がある所以だろうか。

 余裕の笑顔を湛えながら頭を下げ挨拶を終えると居室内に拍手が起こる。

 周囲で女性社員達の熱いため息が聞こえる。

 と、顔を上げた羽野がこちらを捉えた気がした。

「……!」

 雫は固まる。

 彼の眼差しが一瞬殺気を含んだものに見えたのだ。

 すぐに穏やかな顔に戻り周囲と話し始めたので、傍からはわからないだろうが。

「はぁ~僕、初めて生で羽野さん見ましたけど、噂以上にカッコいいっスねー……雫先輩?」

 気楽な松岡をよそに、雫の心の中は絶望感に襲われていた。

 羽野はやはり、しっかりあの時のことを覚えている。

(あぁ、やっぱり私クビなのかも…)






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