独占欲強めな御曹司に最愛妻として求められています~今夜、次期社長は熱烈求婚を開始する~
依頼
何とも言えない気持ちを抱えながら業務は粛々とこなしたが……残業になってしまった。
だれもいなくなった居室でパソコンに向かう。
雫が手掛けるデータはミスが無い上、使う人の意図を汲んで作られていて気が利いていると評価が高い。結果、特命の依頼がよくある。評価されるのはとても嬉しくやりがいを感じる。
仕事しか取り柄が無いのだから頑張ろうと思っていた。
ただ、重要な資料は通常以上に細心の注意をはらって作成するため、1つ1つに時間が掛かりがちだ。ルーチン業務は絶えずあるので、どうしても仕事量が増えてしまい、仕事が早い雫でも度々オーバーワークになることがある。
(これ以上遅くなったら駅からタクシーかな)
集中力が途切れ、ふっと息を付く。
(今日は朝以来羽野さんに会わないで済んだけど……)
鋭い視線。明らかに2年前を忘れていない。覚悟を決めてきちんと謝罪すべきだろう。
赴任してすぐの忙しい羽野にどうやって時間を取ってもらおうか。そう思いを巡らせていると、ふとデスクの右側から気配を感じた。
「……っ!?」
何気なくそちらの方を向いた瞬間、驚きで声も出せず、ビクッと体だけが揺れる。
羽野が雫のデスクの2つとなりの椅子に座りで片手で頬杖を突きながら、じっとこちらを見ているではないか。
「あ、やっと気づいてくれた。すごい集中してるから声かけられなかったよ」
整った甘い目元を眇めて嬉しそうに笑う。
デスクの下に入っている長い脚が窮屈そうだ。
「相変わらず、仕事頑張ってるんだね。僕が居室に入ってきたのも、ここに座ったのも気が付かない位集中してたから」
「……気が付かず、失礼しました」
なんとか声を絞り出す。
「いいよ、しーちゃんの可愛い横顔見放題だったし」
「――はい?」
突っ込みどころ満載の発言に思わず声が裏返る。
(ちょっと待って――今「しーちゃん」って言った?しーちゃんとは誰?)
そんな風に呼ばれた事は2年前も、もちろんなかったのに。
動悸を覚えながら雫は冷静になろうと努める。
いろいろさておき、彼がなぜここにいるのか。雫がひとりになった所に来た……それは、こちらに謝るチャンスを作ってくれているのか、はたまた最後通告なのか。
「元気だった?」
羽野は立ち上がって雫の隣の椅子に移動してきた。その悠然とした笑顔からは真意が読み取れない。
「ちょっと痩せた?ごはんちゃんと食べてる?」
お互いの膝が付きそうな距離で顔を覗き込んでくる。
「羽野さん……」
雫は覚悟を決めた。
「ん?」
椅子から勢いよく立ち上がり、思い切り頭を下げる。
「2年前の事……すみませんでした!!」
立った拍子に膝裏があたり、キャスター付きの椅子がOAフロアを滑る。
「いきなり投げておきながら、救護責任を怠り、逃走してしまい……その後も謝罪もせず、本当にすみません。お怒りの気持ちはわかります。あんなの許せないですよね。でも、もし許されるのであればクビは勘弁してください!最悪、地方勤務でも構いません……できれば地方都市だとありがたいです。仙台とか、北海道とか……と、とにかく私の出来ることは何でもやりますので!」
勢いで一気にまくし立てる。
――が、返事がない。
頭を下げたまま恐る恐る視線だけ上げると、目を見開いた羽野と視線が合う。
しかし、彼が驚いた顔をしたのは一瞬だった。
「まったく君は……ホントに面白いね。普段の様子とのギャップが堪らないよ」
手の甲で口元を押さえ笑いを堪えている。
彼も再び椅子から立ち上がり、デスクに腰掛けるように体重を預ける。
「しーちゃん。別に僕は君をクビにしようとか転勤させようか思っているんじゃないんだ。あんな事で恨みに思ったりしないよ。むしろ……」
「むしろ?」
「……いや、何でもやってくれるって言うなら、それに付け込んでお願いしたいことがあるんだけど、協力してくれるかな?」
「は、はい!」
羽野は、クビや転勤を言い渡しに来たのではない。雫の心配は霧消し、気持ちが一気に軽くなる。さすが御曹司だ。心が広い。仕事の協力だろうから、この際何でもやらせてもらおう。現金かつ安直に考えていた雫に彼は信じられない言葉を発した。
「僕の婚約者になってくれない?」
「はい!…って、え?」
静かな居室に雫の声が響く。口がぽかんと空いてしまう。
「まあ、驚かないで聞いて。ちょっと婚約者になってくれればいいんだ」
「ちょ、ちょっとって……」
羽野の言う『コンヤクシャ』が雫の知っている『婚約者』だとすると、ちょっとなるようなものでは無い。
あまりにも突拍子の無い話で頭がついていかない。
「実はね、父に言っちゃったんだ。結婚したい人がいるから早く日本に帰してくれって。それで5年は掛かるプロジェクトを2年で切り上げて帰ってこれたんだ。早く日本に帰りたい事情があって。でも、今の所、僕に結婚を約束した女性はいない。父の手前それはまずくてね。落ち着いたら彼女に会わせるよって言っちゃったんだ」
羽野は困ったような顔をする。
「それで、しばらくの間婚約者のフリをしてくれる人が必要……という事なんです」
羽野の父とは社長の事だ。日本に帰るために婚約者が居るなどという嘘をついたという事か。
そこまでしてなぜ日本に帰りたかったんだろう。……いや、今はそこは問題ではない。
「という事なんですって……まさか」
「そう。君に婚約者のフリをして、父に会ってもらいたい」
唖然とする雫を見つめながら羽野が続ける。
「もちろんすぐに会わせるわけじゃないよ。だって、しーちゃん僕の事全然知らないでしょ。父は勘が鋭いからその場だけ付き合っている振りをしても、すぐにバレちゃうと思うんだ。だから僕の婚約者として、自然にふるまえるようになってから会ってほしいんだ。それで、ほとぼりが過ぎたころ上手くいかなくなって別れた事にでもすればいい」
「でも、羽野さんなら、婚約者の役をやりたい人なんて、いくらでも居るんじゃないですか?」
それこそ羽野の婚約者になりたい女性は順番待ちの列を作るほどいるはずだ。今恋人がいないのなら、その中から選んで実際に恋人になってしまえばいいのだ。何もわざわざ雫が引き受ける事は無い。
「言い方悪いかもしれないけど、こういう事頼んで、恋人になったと勘違いされたり、言いふらされたり、後色々面倒な事になるのが嫌なんだ。しーちゃんなら、そんな事無いだろうと思って。だって、僕の事そういう目で見た事無いでしょ」
なぜか少し寂しそうに言う。
立場的にこじれた場合を想定して面倒な事は避けたいのだろう。確かに自分ならそんな勘違いは絶対にしない……でも。
「私では羽野さんのこ…婚約者のフリなんて務まると思えません。例えばそういうプロの方に頼んだらいかがでしょうか」
最近は代理代行業でそういう事をしている会社もあるらしいし、タレント事務所に依頼すれば彼に相応しい美しい女性を用立てて貰えるのでは無いだろうか。
「うーん、さっき言ったように父は勘が鋭いんだよね。さすが経営者の眼力というか。プロなんて連れて行ったらすぐに見破られる。そういう意味でいくと、君はそちらのプロじゃないけど、仕事と捉えて貰えばいい。成果は社長へのプレゼンを僕と協力して行い、満足する結果が得られれば」
「で、でも……」
雫は言い淀む。
言いたいことはよくわかるのだが、自分が引き受けるべき事だろうか。
「あー、困ったなぁ。君が協力してくれなければ、父からの信用はガタ落ちだ。親子とは言え、社長だからね。厳しいんだよ。今僕がこんな事頼めるのは僕に負い目がある君くらいなんだよね」
羽野は大げさにため息を付いたが、急に真剣な顔になり、まっすぐ雫を見据える。
「安藤雫さん。協力してくれませんか?」
「……」
流石の交渉能力だ。真摯にお願いする形を取りつつ、こちらに弱みがあることを意識させ結局選択肢を与えていないのだ。
YESと言わなければ、この綺麗な笑顔のまま眉一つ動かすこと無くバッサリ切り捨てられるような気がしてきた。
雫は覚悟を決めた。
「……わかりました。お役に立てるかわかりませんが、頑張ってみます」
「っ!ありがとう!!」
羽野はぱっと目を輝かせて破顔する。相当困っていたのだろう。とても嬉しそうだ。
久々に見る極上の笑みについ胸が高鳴ってしまう。
思い出した、この人の笑顔は破壊力がすごかったのだ。
雫が顔が赤くなっていないか気にしていると、ついでのように付け加えられる。
「そうそう。帰国したらすぐに同棲するとも言っちゃったんだよね。僕の事知ってもらうには一緒に住んだ方が手っ取り早いし、せっかくだから引っ越しておいで」
「えっと?」
「しーちゃんの事も僕に教えてね。いろいろと」
だれもいなくなった居室でパソコンに向かう。
雫が手掛けるデータはミスが無い上、使う人の意図を汲んで作られていて気が利いていると評価が高い。結果、特命の依頼がよくある。評価されるのはとても嬉しくやりがいを感じる。
仕事しか取り柄が無いのだから頑張ろうと思っていた。
ただ、重要な資料は通常以上に細心の注意をはらって作成するため、1つ1つに時間が掛かりがちだ。ルーチン業務は絶えずあるので、どうしても仕事量が増えてしまい、仕事が早い雫でも度々オーバーワークになることがある。
(これ以上遅くなったら駅からタクシーかな)
集中力が途切れ、ふっと息を付く。
(今日は朝以来羽野さんに会わないで済んだけど……)
鋭い視線。明らかに2年前を忘れていない。覚悟を決めてきちんと謝罪すべきだろう。
赴任してすぐの忙しい羽野にどうやって時間を取ってもらおうか。そう思いを巡らせていると、ふとデスクの右側から気配を感じた。
「……っ!?」
何気なくそちらの方を向いた瞬間、驚きで声も出せず、ビクッと体だけが揺れる。
羽野が雫のデスクの2つとなりの椅子に座りで片手で頬杖を突きながら、じっとこちらを見ているではないか。
「あ、やっと気づいてくれた。すごい集中してるから声かけられなかったよ」
整った甘い目元を眇めて嬉しそうに笑う。
デスクの下に入っている長い脚が窮屈そうだ。
「相変わらず、仕事頑張ってるんだね。僕が居室に入ってきたのも、ここに座ったのも気が付かない位集中してたから」
「……気が付かず、失礼しました」
なんとか声を絞り出す。
「いいよ、しーちゃんの可愛い横顔見放題だったし」
「――はい?」
突っ込みどころ満載の発言に思わず声が裏返る。
(ちょっと待って――今「しーちゃん」って言った?しーちゃんとは誰?)
そんな風に呼ばれた事は2年前も、もちろんなかったのに。
動悸を覚えながら雫は冷静になろうと努める。
いろいろさておき、彼がなぜここにいるのか。雫がひとりになった所に来た……それは、こちらに謝るチャンスを作ってくれているのか、はたまた最後通告なのか。
「元気だった?」
羽野は立ち上がって雫の隣の椅子に移動してきた。その悠然とした笑顔からは真意が読み取れない。
「ちょっと痩せた?ごはんちゃんと食べてる?」
お互いの膝が付きそうな距離で顔を覗き込んでくる。
「羽野さん……」
雫は覚悟を決めた。
「ん?」
椅子から勢いよく立ち上がり、思い切り頭を下げる。
「2年前の事……すみませんでした!!」
立った拍子に膝裏があたり、キャスター付きの椅子がOAフロアを滑る。
「いきなり投げておきながら、救護責任を怠り、逃走してしまい……その後も謝罪もせず、本当にすみません。お怒りの気持ちはわかります。あんなの許せないですよね。でも、もし許されるのであればクビは勘弁してください!最悪、地方勤務でも構いません……できれば地方都市だとありがたいです。仙台とか、北海道とか……と、とにかく私の出来ることは何でもやりますので!」
勢いで一気にまくし立てる。
――が、返事がない。
頭を下げたまま恐る恐る視線だけ上げると、目を見開いた羽野と視線が合う。
しかし、彼が驚いた顔をしたのは一瞬だった。
「まったく君は……ホントに面白いね。普段の様子とのギャップが堪らないよ」
手の甲で口元を押さえ笑いを堪えている。
彼も再び椅子から立ち上がり、デスクに腰掛けるように体重を預ける。
「しーちゃん。別に僕は君をクビにしようとか転勤させようか思っているんじゃないんだ。あんな事で恨みに思ったりしないよ。むしろ……」
「むしろ?」
「……いや、何でもやってくれるって言うなら、それに付け込んでお願いしたいことがあるんだけど、協力してくれるかな?」
「は、はい!」
羽野は、クビや転勤を言い渡しに来たのではない。雫の心配は霧消し、気持ちが一気に軽くなる。さすが御曹司だ。心が広い。仕事の協力だろうから、この際何でもやらせてもらおう。現金かつ安直に考えていた雫に彼は信じられない言葉を発した。
「僕の婚約者になってくれない?」
「はい!…って、え?」
静かな居室に雫の声が響く。口がぽかんと空いてしまう。
「まあ、驚かないで聞いて。ちょっと婚約者になってくれればいいんだ」
「ちょ、ちょっとって……」
羽野の言う『コンヤクシャ』が雫の知っている『婚約者』だとすると、ちょっとなるようなものでは無い。
あまりにも突拍子の無い話で頭がついていかない。
「実はね、父に言っちゃったんだ。結婚したい人がいるから早く日本に帰してくれって。それで5年は掛かるプロジェクトを2年で切り上げて帰ってこれたんだ。早く日本に帰りたい事情があって。でも、今の所、僕に結婚を約束した女性はいない。父の手前それはまずくてね。落ち着いたら彼女に会わせるよって言っちゃったんだ」
羽野は困ったような顔をする。
「それで、しばらくの間婚約者のフリをしてくれる人が必要……という事なんです」
羽野の父とは社長の事だ。日本に帰るために婚約者が居るなどという嘘をついたという事か。
そこまでしてなぜ日本に帰りたかったんだろう。……いや、今はそこは問題ではない。
「という事なんですって……まさか」
「そう。君に婚約者のフリをして、父に会ってもらいたい」
唖然とする雫を見つめながら羽野が続ける。
「もちろんすぐに会わせるわけじゃないよ。だって、しーちゃん僕の事全然知らないでしょ。父は勘が鋭いからその場だけ付き合っている振りをしても、すぐにバレちゃうと思うんだ。だから僕の婚約者として、自然にふるまえるようになってから会ってほしいんだ。それで、ほとぼりが過ぎたころ上手くいかなくなって別れた事にでもすればいい」
「でも、羽野さんなら、婚約者の役をやりたい人なんて、いくらでも居るんじゃないですか?」
それこそ羽野の婚約者になりたい女性は順番待ちの列を作るほどいるはずだ。今恋人がいないのなら、その中から選んで実際に恋人になってしまえばいいのだ。何もわざわざ雫が引き受ける事は無い。
「言い方悪いかもしれないけど、こういう事頼んで、恋人になったと勘違いされたり、言いふらされたり、後色々面倒な事になるのが嫌なんだ。しーちゃんなら、そんな事無いだろうと思って。だって、僕の事そういう目で見た事無いでしょ」
なぜか少し寂しそうに言う。
立場的にこじれた場合を想定して面倒な事は避けたいのだろう。確かに自分ならそんな勘違いは絶対にしない……でも。
「私では羽野さんのこ…婚約者のフリなんて務まると思えません。例えばそういうプロの方に頼んだらいかがでしょうか」
最近は代理代行業でそういう事をしている会社もあるらしいし、タレント事務所に依頼すれば彼に相応しい美しい女性を用立てて貰えるのでは無いだろうか。
「うーん、さっき言ったように父は勘が鋭いんだよね。さすが経営者の眼力というか。プロなんて連れて行ったらすぐに見破られる。そういう意味でいくと、君はそちらのプロじゃないけど、仕事と捉えて貰えばいい。成果は社長へのプレゼンを僕と協力して行い、満足する結果が得られれば」
「で、でも……」
雫は言い淀む。
言いたいことはよくわかるのだが、自分が引き受けるべき事だろうか。
「あー、困ったなぁ。君が協力してくれなければ、父からの信用はガタ落ちだ。親子とは言え、社長だからね。厳しいんだよ。今僕がこんな事頼めるのは僕に負い目がある君くらいなんだよね」
羽野は大げさにため息を付いたが、急に真剣な顔になり、まっすぐ雫を見据える。
「安藤雫さん。協力してくれませんか?」
「……」
流石の交渉能力だ。真摯にお願いする形を取りつつ、こちらに弱みがあることを意識させ結局選択肢を与えていないのだ。
YESと言わなければ、この綺麗な笑顔のまま眉一つ動かすこと無くバッサリ切り捨てられるような気がしてきた。
雫は覚悟を決めた。
「……わかりました。お役に立てるかわかりませんが、頑張ってみます」
「っ!ありがとう!!」
羽野はぱっと目を輝かせて破顔する。相当困っていたのだろう。とても嬉しそうだ。
久々に見る極上の笑みについ胸が高鳴ってしまう。
思い出した、この人の笑顔は破壊力がすごかったのだ。
雫が顔が赤くなっていないか気にしていると、ついでのように付け加えられる。
「そうそう。帰国したらすぐに同棲するとも言っちゃったんだよね。僕の事知ってもらうには一緒に住んだ方が手っ取り早いし、せっかくだから引っ越しておいで」
「えっと?」
「しーちゃんの事も僕に教えてね。いろいろと」