さよなら虎馬、ハートブレイク
「運命の再会、ね。いーね、昔のいじめられっ子がカッコよくなって帰ってくる。わ、なんか少女漫画みたい」
「先生なんか楽しんでません?」
「ま、でもいいじゃないか、これを機にそいつにも協力して貰えそうだし」
「協力?」
「男性恐怖症克服の」
「では課外授業を始めます」、と名乗り出た先生は、壁際に置いてあったホワイトボードに何かを記し出した。達筆な字を目で追っていると、彼女は振り向きこん、と手の甲でその文字の読み上げを促す。
「…暴露療法?」
「そ。別名エクスポージャー法、直訳すると“露出”。
エクスポージャーによって自分が避けている場所・状況にあえて身をさらすことで、その場所・状況が本当は恐怖症とは関係がないと脳に識別させ、恐怖を取り除いていく治療法のこと。
種類は問わず恐怖症を改善するためによく用いられる手段だ。パブロフの犬って聞いたことあるか」
「あ、…はい。聞いたことは」
確か、犬に餌を与える前に毎回ベルを鳴らしていると、いつのまにかベルが鳴っただけで犬は餌をもらえると思い、唾液が出るようになった、という実験だ。
「その実験で犬はベルが鳴ると餌が貰えると学習した訳だが、恐怖症でも同じことが言える。
満員電車でパニック発作を発症した人間Aがいたとする。Aはその経験から、“また満員電車に乗ったら発作を起こすのではないか”と考え、電車に乗ることを避けるようになった。
パブロフの犬でいうところのベルと同じ。“満員電車に乗ること=パニック発作”という間違った学習を脳はしてしまう。
そしてこれが何度も繰り返されることで間違った学習が強化され、恐怖症が固定化されてしまうってわけ」
私は黙って先生の話に耳を傾け、静かに頷いていた。マジックペンを指示棒に見立てた先生は続ける。
「で、簡単に言うとエクスポージャーはこの“脳の勘違い”を払拭する必要な手立て。
ベルが鳴っただけで餌がもらえる勘違い犬を元に戻してやりたい。小津、お前が飼い主ならどうする」
「えっと…、ベルを鳴らしても、餌をあげないようにする?」
「正解。
それを繰り返せばそのうち犬はベルに反応しないどころか、アホみたいに唾液を出さないようになる。恐怖症もそれと同じ。
結局はお前の脳が“男性に触れても大丈夫“と意識革命を行うことにある、まぁ知らず識らずの内にお前らはその手段を使ってた。藤堂だよ」
そこでぽん、と先輩の顔が頭に浮かぶ。…あの男がそこまで考えて行動していた? まさか。