さよなら虎馬、ハートブレイク
「………ぁ」
割愛して話しても10分はかかっただろうか。着付け代金と称して問い詰められたその日の出来事を、結局お面越しキス以外大体話すハメになって。やっと母の手から逃れ廊下に出たところで、外で煙草を吸っていたらしいエイにぃと鉢合わせた。
伏し目がちな視線に捕えられ、体が強張る。微かにほろ苦い煙草の香りがした。
「………伯母、さん、は?」
やっと絞り出して聞いたのは素朴な疑問だった。斜向かいに住むエイにぃの自宅は、文字通り斜めにある。それなのになんでわざわざうちに来るんだろうと思った。
早く帰って欲しい。何でここにいるんだと。
「夕方会った。あれの仕事は夜からだろ」
「そ、か」
俯きがちに返事をして。問題は、足早にそのまま二階に上がろうと階段の手すりに手をかけたその時だ。
「凛」
呼ばれた瞬間、足が地面に縫い付けられた。正確には、縫い付けられたように動かなくなった。
振り向く間も無く、玄関から射し込む月明かりがそっと、エイにぃの影で暗くなる。壁に手を付いたエイにぃが私の背中を覆うように立ち、唇が耳に触れたとわかって縮み上がる。
そして届く、掠れた小さな
低い声。
「お前あのこと誰にも言ってねえだろうな」
「…い…、って、ない、よ」
言えるわけなんか、ない。
「…そ? ならいいんだけど」
俄かに明るい口調に変わって体を離すと、背を向けたままの私を彼は横から覗き込む。更に逃げるようにすると奇しくも向かい合う形になって、髪飾りがしゃら、と音を立てて揺れた。
「デートっつった? 何その浴衣、似合わねー」
「…っ」
「とっとと脱げよ。人様のお目汚しだろ」
あ、それとも。
「お前、脱がされる方が得意なんだっけ」
やんわり、顔を傾けうっすら笑みを浮かべるエイにぃを恐怖の目で睨みつける。それきり。弾かれたように逃げ出した。
ばたん、と自室に入るなり扉に背を預けて、座り込む。と言うよりは、自動的に力が抜けて頽れた。帯がお腹に食い混んで苦しい。さっきまで。ものの数十分前まで幸せだったのに、今は別の意味で胸が詰まってる。膝を降り、震える手を握り締めてぎゅっと小さく縮こまる。