さよなら虎馬、ハートブレイク
「うちの家、週末婚なんで」
手のひらを突き出した先輩が、口を開けたまま小刻みに頷く。少しずつ理解したようで、また手で続きを促された。
「父の職場が、自宅から結構離れていて。家から通えないこともないんですけど、毎日帰って来るのは通勤に時間がかかるのもあって、普段は様子見も兼ねて職場の近くにある父の母…要するに私の祖母ですね、その家に寝泊まりしてるんです。父方の祖父は私が幼い頃に亡くなってるので、」
「おばあちゃん寂しくなくていいね」
先輩の相槌に、私はこく、と頷く。
一見風変わりなそれは、私にとって都合のいい環境だった。絶妙な均衡でもあった。どうして父がそんな手段を取るようになったかを、私は知ってる。そして今、その均衡が崩れかけていることも。
「…で、まぁ…お盆休みってのもあって、今日から帰ってくるそうなんですね、父親。私、その、こんなになっちゃってから、もう三年? お父さんとちゃんと、面と向かって話とかしてなくて」
窓の外を見て他人事のように告げたら、案外ありがちな昼ドラみたいだなんて笑えた。父親ですら触ることに抵抗がある、それって私が父を“父親”としてではなく、“男”として認識しているからであって。
それが悟られる前に、気付かれる前に、怯えた私は、父に強く当たったのだ。口もきかない、敵意を向ける、思春期特有の反抗期、ただその一つの言葉で括るにはあまりに酷いことを、たくさん、たくさん言ってしまった。
大切で、大好きな、たったひとりのお父さんに。
そうせざるを得なくなったのは、そうなってしまったのは、
「……私が…、私、が。男のひとに触れられなくなった、理由……が、」
「オズちゃん」
それまで静かに話を聞いていた先輩が、そこで遂に私の言葉を遮った。頭では浮かぶのに伝えたい言葉が上手く口に出せなくて、もどかしさから握り締めていた拳は呼び掛けに緩み。いつの間にか濁っていた視界は顔を上げた瞬間、
涙となって頬を伝う。
「大丈夫だ」
「で、も」
「わかってる」
ちゃんとわかってるから。
自分の痛みのように辛そうに眉を下げて、そんな時でも笑って、小さく頷く先輩に、私は左右に首を振る。
最近、涙腺がおかしくなっていて困る。後から後から溢れる涙はそれでいて一丁前に塩っぱくて、海の味がした。