さよなら虎馬、ハートブレイク
 

 久しぶりに入ったエイにぃの家は、妙な静けさに満ちていた。我が家と似た間取りの一軒家は、「シングルマザーだからって子どもに質素な暮らしをさせたくない」と、成美伯母さんが必死で働いて貯めたお金で買った念願のマイホームだ。

 玄関を開くとすぐ二階へと繋がる階段があって、それは私の家とまるきり同じ間取りなのに、薄暗くてまるで知らない異空間みたいだ。物々しい空気に目を逸らす。

 開けたリビング、その窓には夏の斜陽が射し込んでいて、白のカーテンがオレンジ色に染まっていた。フローリングの床にも影が伸びて、二つある窓の向こう側、部屋の奥の方で煙草の煙が揺れている。


「…いたんだね、エイにぃ」


 彼は、リビングの窓際に座っていた。

 煙草を(くわ)える薄い唇は、服から覗く痩身な体躯は、肌の血色はあの頃よりずっとマシなはずなのに、まるで生気が感じられなかった。

 斜陽を浴びて、今にも消えてしまいそうな姿に不安になる。
 そこでふと、窓辺で喫煙するとご近所の目があるからやめろ、と昔エイにぃが伯母さんに野次られていたのを思い出した。我関せず、といった様子で彼はずっとその言いつけを、守った試しがない。


「…いて、よかった。友だちと、会ってると思ってたから」

「…」
「一昨日。コンビニにいたのもそうだよね。…エイにぃ滅多にこっち、帰ってこないから。友だちもきっと嬉し」
「なんか用?」

 被せて言われて、体が思わず、強張る。

 決して威圧的ではないはずなのに、この声がいつも、私を過去と縛り付けて離さなくする。言葉に、しなきゃ。勇気を出さなきゃ。前で組んだ手をぎゅっと握り締めて、きつく結んだ唇は緩く、震えた。


「………ぁ…謝りに来た……三年前の、こと」


 空気が、ピンと張り詰めたように身体に刺さって痛い。


「あの日…私が言ったことで、エイにぃを傷付けたって、後になって知った」


 あの頃。エイにぃが抱えていたもの。

 私が彼に(とら)われているのと同じで、彼の中にもずっと囚われている過去がある。私が、三年前の私が気付け得なかったこと。

 全部を知ったのは、エイにぃがいなくなってからだった。


「それなのに、エイにぃの気持ち汲まないで、歌って欲しいって、私は、私のことばっかりだった。自分本位でごめん、…ごめんなさい」


 最後の方は上擦って、涙を押し殺すように深々と頭を下げる。結果それは額を伝い逆さまに前髪の方に流れていって、ぽた、と床に落ちる。

 目を開くとエイにぃの足のつま先が見えた。


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