さよなら虎馬、ハートブレイク
第六章
いらない命
「栄介」
今から十年前、俺が中学二年の頃。
ようやく溜まりに溜まっていた課題を終わらせて外に行こうとしたら、店先で母親の成美に呼び止められた。
「あんた、丁度いいところに来た。ちょっと店番変わって」
「は?」
「卵切らしちゃったのよ、発注ミス。今日週末だから常連さんも多いでしょ、そしたらみんなうるさいじゃない。二言目には卵焼き! って。お願いね」
「いやどこの時代に中学生に飲み屋の店番頼む親がいんだよ」
「はいここでーす。細かいこと言わないでよほらチューしてあげるから」
「うわやめろ!」
有無を言わせず飛んできた抱擁に羽交い締めにされて、ぐったりとカウンター席でうな垂れる。
若い頃に出会った男と恋愛、俺をこさえて、離婚。
晴れてシングルマザーとなった母親の成美は、女手一つで俺を今日まで育て上げてきた。片親では配偶者がいない分、むろん金銭面での負担も大きい。小学生の頃なんかは水商売でどうにか食い繋ぎ、そこの店主の助けを借りて今の飲み屋を創設。
ここに来る客は当時母親を指名していたり贔屓にしてくれていた客が多くて、言い方が悪いがそういう金を持て余した連中に生かされているのが、現状。
店に働きに出ていた頃からいつか自分の店を持つのが夢、と語っていた成美にとっては客が誰であろうと嬉しかったかもしれないが、正直俺は、この店があまり好きではなかった。…だって、
「エイに———!」
…人が感傷に浸ってるときに。
がんがんがん、と入り口の引き戸を思いっきり叩く磨りガラス越しの影に、カウンターにへばったままそっぽを向く。鍵閉めてったよな確か、と思った瞬間思いっきり開けられる音がした。…成美。
「エイにぃ来たよー!」
「来たな。じゃあな」
「今来たとこ!」
片手でぐいー、と迫ってくるチビの頭を鷲掴んでよそへやろうとするのにびくともしない。なんか頭暑いし子供体温かこれ、と面倒になってぺい、と手を離したらよじよじ、とそいつは俺の隣の席に這い上がってきた。
従姉妹の凛花だ。
八つ下のそいつはこの春小一になったばかりで、何が楽しいんだか俺の前でいつも大きな猫目にたくさんの星を散りばめている。