さよなら虎馬、ハートブレイク
私がお腹にいる頃ってことは、きっと年の差を踏まえても彼は6、7歳だろう。私の知らない幼いエイにぃの姿はそれでも、茶髪で、色素の薄い瞳を瞬かせていそうだ。
「軽いお昼ごはんとか、運ぶの手伝ってくれたりして。人見知り初期っていうの? ぶっきらぼうで、それでもお母さんのこと気にしてちょこまか動いてくれて、可愛かったなあ」
「…」
「重たい体をよっこらしょってなんとかソファにおろして…隣で、あの子不思議なもの見るみたいにじーって、お腹観察してた。だからお母さん訊いたの、栄介くんに」
——————ねぇ栄介くん。好きな言葉とかある?
——————すきなことば…?
——————赤ちゃんの名前。「花」って言葉を付けたいって思っててね。そこにもう一つ加えたいの
「そしたらあの子、まだ小学校上がってすぐくらいよ?
意味をわかってかはわからないけど、難しい顔して少し悩んだあとに、「凛」って言ったのよ。
…あとで成美伯母さんに聞いたら、〝道端に咲いてる花が凛として綺麗ね〟って、つい最近話したばっかりだったんだって。
猫じゃらし持ってそっぽ向いてたから、聞いてないんだとばかり思ってたって」
「………それ、って…」
手を止めてお母さんを見つめる私に、お母さんはきょとんとする。それから、頰に手を添えて顔を傾けた。
「あら、言ってなかったっけ?
凛花の名前は、栄介くんが考えてくれたのよ」
そこでふと、家の電話が鳴り響く。
「あら誰かしら」
「わ…私出るよ」
平静を保つためにも、電話に出ようとしたお母さんを手で制して私が受話器を取った。耳にあてがい、息を吐く。
「も、もしもし」
《…》
「…もしもし?」
電話機に映る、「発信元・非通知」の文字。それを見て、なぜか。何を思ってか、感じた。
「…………………エイにぃ?」
小さく問い掛けると、一呼吸置いてかすれた声がする。
《公立北陵高校体育館、14時》
「え、」
待って、と呼び止める前に途切れてしまった受話器を見つめて、考える。
……公立北陵高校って、確か。
エイにぃの母校だ。