さよなら虎馬、ハートブレイク
薄ら笑いを浮かべてだらしなく柵に背を預けた先輩の目が、ぐるりと天井を一周する。心から疑問する彼を前に私は追いすがった。
「———…今からでも遅くないです、言いましょう本当のこと、奈緒子さんのお母さんに、そしたらちゃんと」
「どうして?」
「えっ…」
「———する訳ないじゃんそんなの」
「…智也、先輩?」
呼びかけに対して気怠げに「ん、」と反応は示したのに、それは今まで見たことのないようながさつで雑なものだった。
かと思ったら、こつ、と壁にこめかみを押し付けた彼の目が妖艶に細められる。眼を瞠って向かい合う私の何がそんなにおかしいのか、くすくすと笑みを噛み殺した彼の薄い唇が一気に弧を描いて歪む。
「何その反応? だってさ、勝手に言い出したのあっちじゃん。おれからしたら寧ろこっちが被害者だって言いたい」
「…」
「今更軽蔑、ね。探し物と同じだよ、暗躍する人間は目の前にあったってわけ。…敵意を向けるのが遅すぎる」
ずっと近くにいたのにね?
眼前に降りてきた顔が今一度にっこりといつもの微笑みを見せて、それからぱっと無になった。
跳び箱から腰を上げた彼は、空を悠々と滑空する鳶のように体育館倉庫の中を歩き回る。
「いつからか藤堂はきみに自分を重ねてた。
…野生の勘、って言うのかな。自分が無自覚に抑えてる根底みたいなものを、ヒトって知らず識らずのうちに感じ取って重合するんだ
寄生…いやそういうの野生じゃ同調っていうんだよ。
出来損ないのお仲間ごっこが…とっととぶっ壊れちまえばよかったんだよ」
光に満ちた飴色の瞳が、絶望の影に眩んだ。
その時初めて本当の智也先輩を目の当たりにして動けないでいるのに、そのひとは笑う。
「小津さん、前におれと二人で出かけた時、藤堂の変化に気づけなかったって言ったよね。あいつの心がもう無いことを、〝そんな風には見えなかった〟って。もう気付いてるんだよね? 藤堂がきみの前でだけは心を取り戻してるって」
きみはあいつの引き金なんだよ、
あいつにとっての最後の砦だ。
「だから小津さんのためを装っておれが無理やり引き剥がした」
———あの子をずっと自分のために繋ぎ止めるつもりか
———お前は、小津さんのためにけじめつけるべきだ
「そう言えば藤堂は自分の感情を振りほどくのをおれは知っていたからさ。なけなしの鎹を失ったらあいつがどうなるかってことも」
「…」
「滑稽だったなー、完璧だった人間が、隣で見ててみるみるうちに壊れてくんだ。人間が壊れていく様を間近で感じられることって人生でそう無いよ。
相っ…当興奮したね」
心底おかしそうに腹を抱えて肩を揺らす彼に、左右に首を振る。小刻みに震える手で扉を開けようとするのに、全然力が入らない。