さよなら虎馬、ハートブレイク
 

「…きっ、緊張できもちわるくなってきた…」

「落ち着けオズちゃん、深呼吸だ。俺の息に合わせろヒッヒッフー」

「何を産むつもりだ」


 スパン、といい音を立てて先輩の頭を叩いた智也先輩のツッコミに、彼はいてっと声を上げる。精神的に追い詰められている私は、入り口付近で(うずくま)ったまま。

 顔を上げずに隣で屈み込む先輩に問いかけた。


「…聞かないんですね」

「うん?」

「どうして、謝ってたのか」


 目蓋を閉じて、視界に映る情報全てを遮断する。それでも五感は生きていて、汗のにおいと、最後の練習に励む生徒たちのシューズがフロアを鳴らす音は確かに私に届く。


「─────尻尾巻いて逃げ出した、とか?」

「っ! そんなわけ」


 がば、と顔を上げて目と目が合う。

 私の斜め前にしゃがんで膝に頬杖をついていた彼は、流し目で少しだけ口の端を持ち上げた。


「だって俺知ってるもん、オズちゃんがそんな理由で怖気付いて逃げ出したりしないこと」

「…」

「悪いことをしたら、人目も気にせずちゃんと謝れることも」


 違うよ先輩。ちがう。私恥ずかしいって思ったよ。

 ほんとはあなたに見られて恥ずかしいって感じてた。でもそれ以上に、譲れない思いがあった。優先したいことがあった。

 先輩のことだ。


「俺はオズちゃんを、信じてるから」


 瞳が震える。

 その笑顔に、今までどれだけの人間が、どれほどまでに私が救われてきたか、知らない。そんなこと考えたこともない。咄嗟(とっさ)に熱いものが目の奥から込み上げてきて、ぱっと素っ気なく顔を逸らす。

「…ばかなひと」

 可愛くないと思う。素直じゃないと思う。わかっていても、ありがとうなんて、私の口からじゃちっとも出てこないから。だからせめて試合に勝って、今も眉を下げて笑うこのひとに。

 どんなもんだって笑いたい。

 












 そして、ついに決勝戦が始まった。


 試合開始のブザーが鳴り、途端にワァッと体育館が熱気で溢れかえる。反対コートでも3年男子バレーボールが決勝戦を繰り広げているそうだが、観戦する生徒の割合がそっちに引けを取らないのは、期待値が高い1年女バスチーム同士の対戦だということに加えて。


「A組ファイト───!」

「ひゃっ藤堂先輩いるよ」

「ほんとだやばい近く行こ!」


 観戦フロアに先輩がいるからだろう。


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