【完】淡い雪 キミと僕と
「夢かぐらは今も?」
「あぁ、今も確かやっている筈だよ」
「そうですか……」
その日は午前中に仕事を終えて、午後からは用事があると父に言った。
会社に帰って事務的な仕事をするだけだと言われ、それを許された。
午後からは、母の病院の面会へ向かう予定だった。久しぶりに実家に帰って家政婦さんに訊くと、やはり母は入院していた。
病院へ向かう車内で夢かぐらとさっきの父の言葉を思い返していた。
おぼろげな記憶の中で、まだ若い…あれは支配人だったのだろうか…。優しく笑う人が確かにいた。
ホテル館内に案内してくれて、色々な話をしてくれていた筈だが、会話内容は覚えてはいない。
ただその支配人と思われる男性が、小さかった俺の背丈に合わせて話をしてくれて、その人の笑顔がとても優しかった事だけは覚えている。
きっとあの頃の父と同じくらいの年齢の人だった筈だ。
父の話を聞いておぼろげだった記憶が少しずつ蘇っていくのを感じた。
ロビーに飾られた手造りらしいオブジェ。「いとうってこんなにおっきいんだねぇ」そう誰かに言った記憶があった。けれど肝心の誰に言ったかは、覚えていない。
あれは支配人へだったのか、父へだったのか、それとも母へだったのか。
’人は何故ホテルに泊まるの?家があるのにへーんなの’そんな事を誰かに訊いた記憶もある。
誰かも分からなかったし、その答えの回答も覚えてはいない。
ただあのホテルへ泊まったのが唯一家族旅行をした思い出だという事だ。