夜の蝶
#研修#
イスに腰掛け青木さんを待っていると、背後から誰かに頭を撫でられ私は振り返る。
「来たな!来ないと思ったけど」そう言いながら私の席の前に腰掛ける。
私は単刀直入に聞いてみた。
「あの…昨日言っていた、俺の世界とは…?」
「プロポーズ!」
戸惑いもなく堂々と言う青木さんに少しだけ違和感を感じた。
私は動揺し目をぱちくりさせる。
「あはは!それは冗談だよ」
「もー!青木さんったら」
一気に和み、改めて青木さんの雰囲気作りの上手さを痛感した。
「俺の秘書になるか?」
「またご冗談を?」
「いや、これは冗談じゃないんだけどな」と言いながら青木さんは微笑んだ。
私は言葉に詰まる。
「俺がゆりを一人前にして二度と夜の仕事に戻らないように立派に育てるから安心して俺についてきてほしい」と、真剣な顔つきで言う青木さんに思わずぎくりとする。
「秘書って…てことは、社長さんなんですか?」
「そうだよ」
お店では何度聞いても自分の正体を絶対に答えなかったのに。
「なんとなくは感じていましたけど…なんのお仕事をされてるのですか?」
「ブライダル関係。顧客で有名な方とかもいるから企業秘密は守ってもらうけど」
ブライダル…女として携わってみたいお仕事ではあるけれど…
「でも私…何の資格もないし、頭も良くないし…」
「もうかれこれ、ゆりとは5年の付き合いだからな。ゆりの事は分かってるつもりで誘ってるんだけど」
頬が火照り胸が弾む。きっとまたとないチャンスに違いない。
「じゃ…ぜひ、宜しくお願いします」
「了解!履歴書は必要になるから用意しといて」
「分かりました」
青木さんとお仕事を共にする事になるなんていまだに信じられないけれど、何もないこんな私を誘ってくれて素直に嬉しい気持ちになった。
そんな話からすぐお店に伝え、5年勤めたお店を後腐れもなく退店した。
水商売から抜け出せたのは紛れもなく青木さんのおかげ。
そんな青木さんを絶対に裏切りたくない。
水商売にある程度長く働いている人たちは、昼職をやってはみるものの、すぐにまた戻ってしまう傾向にある。
青木さんもそれを分かっているので私をすぐには入社させなかった。
“ゆうも、どうせまたすぐ夜の仕事に戻るんだろう?”などと思われたくない。
19歳の頃から5年以上今までずっとキャバでお世話になって、昼職でチャンスを与えてくれて、立派に育てると言ってくれている青木さんのもとで頑張りたいと思えた。
暗い世界で一生生きていくんだろうな!と諦めていたのに、贅沢にも明るい世界で生きてみたいと、この時願ってしまったんだ。
入社する前の研修は、青木さんとマンツーマンでビジネスホテルでの研修だった。
そのホテルは青木さんの知り合いが経営していて、青木さん自身もしょっちゅう利用しているらしく安心して研修をすることができた。
多忙の中、私のために時間を作ってくれているのだからなんとしてでも成り上りたい。
キャバで接客をしていた時の優しい青木さんの欠片もないくらい、容赦のない研修だった。
「慣れるように、これからは青木さんじゃなくて、社長って呼ぶようにね。俺も岩崎さんって呼ぶから」
「分かりました」
夜から昼。青木さんから社長。
不思議な感覚に包まれる。
「お辞儀の角度何度言ったら理解してくれるのかな?お辞儀でその人の誠意が伝わるんだよ」
「…ごめんなさい」
「それと、謝罪するときは「ごめんなさい」じゃなくて「すみませんでした」もしくは「申し訳ございませんでした」ね。俺と話す時はどんな言葉でも構わないけど顧客とかの前ではぼろが出ないように」
「分かりました」
「違う。“かしこまりました”」
私はキャバで働いていて礼儀作法はそれなりに出来ているつもりでいた。
だけれどそれは自己評価であって正しいことではなかったと社長の研修で勉強になった。
今まで、自分の事を考えて厳しくしてくれる人などいなかったから、私にはそれが愛情に思えた。
豊とはまた違った、初めて感じる心のこもった愛情。
知識も全くない私には覚えることが山ほどで何度も挫けそうになったが、社長の言っている事は全て正しいことで、しっかり出来た時には精一杯の愛情で褒めてくれる。
そして研修を始めてから数日が経った。
「お辞儀ちゃんと使い分けできるようになったね。偉い」
「徐々に身に付いてきました」
「俺の厳しい研修で何人も辞退してきてるけど、岩崎さんがこれを乗り越えたら明るい未来を俺が保証するから」
研修で初めて褒められて、私は勝ち誇った表情を浮かべた。
「今更ですけど、どうして私なんかにここまで良くしてくれるのですか?」
「うーん、岩崎さんと初めて会った時から、俺の秘書になれる人だって直感で感じたからかな」
「それは超能力ですか?」
「まぁ、そんなところ」と、はにかんだような笑顔を浮かべた社長を見て、私は微笑ましい気持ちになった。
あの頃は心身共にボロボロだった私を、青木さんだけは見抜いてくれていたんだね。私自身も現実逃避していたのに。
店長の“青木さんは人を見る目がある”という言葉が思い返された。
こんなに出来過ぎた人間がいるのかと思うくらい、私にとっては全てが完璧な人。
入社してすぐに辞めないようにと研修期間を長く設けてくれて、念入りに仕込んでくれた。
何度か研修を重ね、無理をせず自分のペースで頭に刻んでいく。
そして、研修を始めてから半年が経過した。
イスに腰掛け青木さんを待っていると、背後から誰かに頭を撫でられ私は振り返る。
「来たな!来ないと思ったけど」そう言いながら私の席の前に腰掛ける。
私は単刀直入に聞いてみた。
「あの…昨日言っていた、俺の世界とは…?」
「プロポーズ!」
戸惑いもなく堂々と言う青木さんに少しだけ違和感を感じた。
私は動揺し目をぱちくりさせる。
「あはは!それは冗談だよ」
「もー!青木さんったら」
一気に和み、改めて青木さんの雰囲気作りの上手さを痛感した。
「俺の秘書になるか?」
「またご冗談を?」
「いや、これは冗談じゃないんだけどな」と言いながら青木さんは微笑んだ。
私は言葉に詰まる。
「俺がゆりを一人前にして二度と夜の仕事に戻らないように立派に育てるから安心して俺についてきてほしい」と、真剣な顔つきで言う青木さんに思わずぎくりとする。
「秘書って…てことは、社長さんなんですか?」
「そうだよ」
お店では何度聞いても自分の正体を絶対に答えなかったのに。
「なんとなくは感じていましたけど…なんのお仕事をされてるのですか?」
「ブライダル関係。顧客で有名な方とかもいるから企業秘密は守ってもらうけど」
ブライダル…女として携わってみたいお仕事ではあるけれど…
「でも私…何の資格もないし、頭も良くないし…」
「もうかれこれ、ゆりとは5年の付き合いだからな。ゆりの事は分かってるつもりで誘ってるんだけど」
頬が火照り胸が弾む。きっとまたとないチャンスに違いない。
「じゃ…ぜひ、宜しくお願いします」
「了解!履歴書は必要になるから用意しといて」
「分かりました」
青木さんとお仕事を共にする事になるなんていまだに信じられないけれど、何もないこんな私を誘ってくれて素直に嬉しい気持ちになった。
そんな話からすぐお店に伝え、5年勤めたお店を後腐れもなく退店した。
水商売から抜け出せたのは紛れもなく青木さんのおかげ。
そんな青木さんを絶対に裏切りたくない。
水商売にある程度長く働いている人たちは、昼職をやってはみるものの、すぐにまた戻ってしまう傾向にある。
青木さんもそれを分かっているので私をすぐには入社させなかった。
“ゆうも、どうせまたすぐ夜の仕事に戻るんだろう?”などと思われたくない。
19歳の頃から5年以上今までずっとキャバでお世話になって、昼職でチャンスを与えてくれて、立派に育てると言ってくれている青木さんのもとで頑張りたいと思えた。
暗い世界で一生生きていくんだろうな!と諦めていたのに、贅沢にも明るい世界で生きてみたいと、この時願ってしまったんだ。
入社する前の研修は、青木さんとマンツーマンでビジネスホテルでの研修だった。
そのホテルは青木さんの知り合いが経営していて、青木さん自身もしょっちゅう利用しているらしく安心して研修をすることができた。
多忙の中、私のために時間を作ってくれているのだからなんとしてでも成り上りたい。
キャバで接客をしていた時の優しい青木さんの欠片もないくらい、容赦のない研修だった。
「慣れるように、これからは青木さんじゃなくて、社長って呼ぶようにね。俺も岩崎さんって呼ぶから」
「分かりました」
夜から昼。青木さんから社長。
不思議な感覚に包まれる。
「お辞儀の角度何度言ったら理解してくれるのかな?お辞儀でその人の誠意が伝わるんだよ」
「…ごめんなさい」
「それと、謝罪するときは「ごめんなさい」じゃなくて「すみませんでした」もしくは「申し訳ございませんでした」ね。俺と話す時はどんな言葉でも構わないけど顧客とかの前ではぼろが出ないように」
「分かりました」
「違う。“かしこまりました”」
私はキャバで働いていて礼儀作法はそれなりに出来ているつもりでいた。
だけれどそれは自己評価であって正しいことではなかったと社長の研修で勉強になった。
今まで、自分の事を考えて厳しくしてくれる人などいなかったから、私にはそれが愛情に思えた。
豊とはまた違った、初めて感じる心のこもった愛情。
知識も全くない私には覚えることが山ほどで何度も挫けそうになったが、社長の言っている事は全て正しいことで、しっかり出来た時には精一杯の愛情で褒めてくれる。
そして研修を始めてから数日が経った。
「お辞儀ちゃんと使い分けできるようになったね。偉い」
「徐々に身に付いてきました」
「俺の厳しい研修で何人も辞退してきてるけど、岩崎さんがこれを乗り越えたら明るい未来を俺が保証するから」
研修で初めて褒められて、私は勝ち誇った表情を浮かべた。
「今更ですけど、どうして私なんかにここまで良くしてくれるのですか?」
「うーん、岩崎さんと初めて会った時から、俺の秘書になれる人だって直感で感じたからかな」
「それは超能力ですか?」
「まぁ、そんなところ」と、はにかんだような笑顔を浮かべた社長を見て、私は微笑ましい気持ちになった。
あの頃は心身共にボロボロだった私を、青木さんだけは見抜いてくれていたんだね。私自身も現実逃避していたのに。
店長の“青木さんは人を見る目がある”という言葉が思い返された。
こんなに出来過ぎた人間がいるのかと思うくらい、私にとっては全てが完璧な人。
入社してすぐに辞めないようにと研修期間を長く設けてくれて、念入りに仕込んでくれた。
何度か研修を重ね、無理をせず自分のペースで頭に刻んでいく。
そして、研修を始めてから半年が経過した。