ボクの『妹』~アイドルHinataの恋愛事情【4】~
09 『妹』のおかげで。
「ここやねん、あたしん家」
公園の、最初に奈々子がいた場所とは対角線上にある反対側の入り口から『ほんのちょっと』行ったところにある、一戸建ての家の門を開きながら奈々子は言った。
どちらかというと、こぢんまりとした二階建ての家で、庭もそれほど広くはない。
ごくごく、普通の家。うーん、なんかちょっと意外。
高橋って、お母さんが『伝説の番長』だったらしいから、もっとこう……極道っぽいの想像してた(って、どんなだ)。
ん……でも、お母さんの情報なしに、高橋兄妹だけみると、普通の兄妹(性格的に二人とも少々クセはあるけど)だから、そう考えると、ある意味しっくりくるのかもしれない。
そうは言っても、実はボクの実家は2DKのオンボロ社宅だったから、『一戸建ての家』ってだけで、うらやましい限りなんだけれど。
玄関の茶色いドアを開けて、奈々子はボクに笑いかけた。
「じゃ、お邪魔しますぅ」
そーっと玄関に入ると、家の中もやっぱり、外から見た印象と同じく、ごくごく普通。
玄関からすぐのところに、二階へとつながる階段がある。
自分の『家の中』に階段があるって、やっぱすごいなぁ……。
戸建ての家の中の階段って、社宅やアパートなんかの階段より傾斜が急なんだよね。
この高橋の家の階段も、どうやらそんな感じだなぁ……と見上げながら思った。
「……奈々子? 帰ったのかー?」
奥の方から女性の声が聞こえた。
「あ、母さん、いるん? たっだいまぁ~っ!」
奈々子が玄関で靴を脱ぎながら答えた。
……母さん? あの『伝説の番長』か!?
って、会ったことあるじゃん、ボク。
奈々子の両親が、東京に来てた奈々子を迎えに来たときに挨拶はしたんだった。
でも、あの時はまだ『伝説の番長』情報は知らなかったし、挨拶も軽くだったからなぁ。
げぇぇ……なんか、めっちゃ緊張するっ!!
「お……お邪魔しますっ」
奈々子の後ろについて居間に入ると、部屋中が白い霧で満たされていた。
違う。霧じゃない。……白煙だ。
その白煙の中に『伝説の番長』は……いた。
指先に煙草を挟み、口から煙を吐き出した『伝説の番長』……いや、高橋(と奈々子)のお母さんはボクに気づいて、それまでテレビのワイドショーに向けていた視線をボクに向けた。
「…………あぁ、おまえは確か……」
ひぃ!? お、『おまえ』ですか!?
なななんだ、この……たった一言で、あの高橋の何十倍にも感じる威圧感は!?
「ああああのっ、中川盟ですっ。高橋……諒くんと同じ、Hinataの……」
ボクが言うと、スッと威圧感を軽減させた高橋のお母さんは軽くうなずいて、
「あぁ、いつも諒が世話になってるな。確か、奈々子が東京に行ったときには、奈々子も世話になったと聞いているが……?」
あぁ、あの『迷子事件』のことかな?
「いえいえいえいえ……。そんな、全然。ボクは、ボクにできることをしただけですから……」
「いや……、うちの子たちがいつも迷惑かけてすまない。……ところで、なぜキミがこの家に?」
「あ……はい、実は……」
ボクは、高橋のお母さんに、事情を説明した。
「なるほど、そういうことか」
「はい。で、奈々子……ちゃんに、お願いした、というわけで。ボクが強引に勝手に決めてしまったんですが、大丈夫ですか?」
「そりゃぁ、ワタシは構わんが……。奈々子、おまえは……おい、奈々子? どこへ行った?」
高橋のお母さんとともに辺りを見回すと、居間のドアがあいて、制服から私服に着替えた奈々子が入ってきた。
「盟にぃっ、着替えてきたで。こんなんで、どうやろか?」
クリーム色のTシャツに赤いミニスカートをはいた奈々子は、ボクの前でくるっと一回転してポーズをとった。
「うん……『妹』らしくて、いいんじゃないかな?」
ボクが言うと、奈々子は照れ笑いを浮かべた。
その様子を見ていた高橋のお母さんは、少し眉をひそめて、
「奈々子、分かってるんだろうな?」
「ん? あたしが諒クンの妹ってのは秘密ってことやろ? 分かってるよっ。諒クンと約束したんやもん。ねっ、盟にぃ?」
「あぁ、うん。大丈夫ですよ、お母さん。さっき事情も聞きましたし、ボクが責任持って――」
「えー、次の話題は、あの大御所俳優が、なんと……おじいちゃんになるそうですっ!!」
ボクがこの部屋に入ってきたときから流れていたテレビのワイドショーのキャスターのセリフに、ボクはふとテレビの方へと視線を向けた。
次の瞬間に画面に映った、その大御所俳優。
土方達郎。ボクの彼女の父親だ。
ちょっと……待ってよ。いま……なんて言った?
『……おじいちゃんになるそうです』?
……『おじいちゃん』? ってことは……孫が生まれる、って……こと?
土方達郎の子どもは……ボクの彼女である、愛理だけ……のはずだろ?
愛理が……まさか、妊娠? そんな……ボク、何も聞いてない――!!
テレビの中の土方 達郎は、満面の笑みを浮かべてインタビューに答えている。
「娘はまだ19歳なんですがね、『本当に愛してる人の子どもだから、どうしても産みたい』って泣くのでね……。相手の男性も、必死になって頭を下げるんだよ」
「お相手の方は、どんな方かお聞きしても……?」
「ボイストレーニングの先生をしているそうだよ。娘より7つも年上でね……」
全身の力が抜けて、ボクはその場に膝から崩れ落ちた。
…………相手はボクじゃ……ない。
ウソだ…………ウソだろ?
あんなに愛し合ってたのに。
ボクのことだけ、愛していると言ってたのに――――!!
「……盟にぃ?」
声をかけられて、ハッと気がつくと、奈々子が心配そうな顔でボクの顔を覗き込んでいた。
テレビのワイドショーでは、既に別の話題が流れている。
「あ……ごめん。えっと、な……何の話……だったっけ?」
なんとかそれだけ言葉を発すると、奈々子はニコッと笑って、
「盟にぃ、疲れてるんちゃう? そういう時はね、甘いものがいいんやて。ちょうど3時やし……ねぇ、母さんっ! おやつ・おやつ・おやつぅ~~~!!」
と、キッチンにいる自分の母親に向かって叫んだ。
「ちょ……奈々子、声デカイんだけど……」
「え? あ、ご……ごめん、盟にぃ」
慌てて口元を押さえる奈々子を見てたら、不思議と顔がゆるんでしまっている自分に気づいた。
「奈々子……ありがと」
「……ん? 何が?」
「うん。なんか……元気出た」
「え? まだおやつ食べてへんよ? 今日のおやつはね、あたしの大好きなロールケーキっ!」
奈々子はそう言って、ボクの腕をグイッとひっぱって立たせて、ボクをロールケーキのお皿と紅茶が並べられたダイニングテーブルのところまで連れていった。
もしも、あのときのワイドショーを一人で見ていたとしたら、いまみたいに『女性を愛せない』どころか、きっと、仕事だってロクにできないような人間になってたに違いない。
その証拠に、その後行われた大阪でのロケのことはほとんど記憶に残っていない。
だけど、後で番組のオンエア見たらちゃんとこなせていたのは、たぶんきっと、相手が『妹』の奈々子だったからなんだと思う。
天然キャラの奈々子を見ていると、自然と心が和む。
……そうだ。
さっきの二次会で、奈々子が言ってたんだ。
『あのときの番組を、いまの事務所の人が見ててね、声かけてもらったんだよっ。だから、あたしがいまこうして、ここにいられるのは、……中川サンのおかげっ』
『ボクのおかげ』……か。
それを言うなら、ボクがこうして、一応まともに生きて仕事をしていられるのは、あのとき奈々子がそばにいてくれてたから、なんだろうな。
もちろん、血はつながってない。だけど……きっと、決して裏切らない。
大切な『妹』――――。
「……盟?」
遠慮がちに風呂のドアが開いて、紗弥香が顔をのぞかせた。
「ん……何?」
「いつまでお風呂に入ってるのかなって思って」
「……そんなに時間経った?」
「うん。もう1時間半になるけど」
「え? マジで? ……うわ、お湯……ぬるっ!」
入ったときには熱かった湯船も、既にぬるま湯になっていた。
「追いだきっ! このまま出たら、絶対風邪ひくっ! あああああ、寒いっ!!」
給湯器の追いだきボタンを押してガタガタと震えるボクの様子を見ていた紗弥香は、クスッと笑った。
「な……なんだよ。『アホだなー』とか思っただろ?」
「ううん、そうじゃなくて。お風呂で少しは疲れが取れたのかな、って思って」
「……え、なんで?」
「だって、盟……さっき暗ぁい顔してたのに、いま笑ってる。もしかして、うたた寝して、いい夢でも見てたの?」
「夢?」
ボクは少し考えて、
「夢……みたいなもんだな。途中、この世の終わりかと思うくらいの悪夢だったけど。……ラストで救われたよ」
と、湯船の水面を見つめながら答えた。
そう……あの『妹』のおかげで……。