奴隷市場
第六話 過去
晴海と夕花を乗せたトレーラーは圏央道を走っている。
制限速度内で、ゆっくりした速度を保っている。
晴海は、ベッドで横になっている。やることが無いわけではないが、急いでやるべきことが無いのだ。
夕花は、資格の勉強を再開した。すぐに必要になるわけではないが、試験の日付を考えると、勉強を再開しておいたほうが良いと思ったのだ。
勉強をしながら、晴海を観察している。
夕花は、自分の生まれも育ちも解っていたと思っていた。奴隷になって、市場で売られて、晴海に買われて、ここ数日で世界が一気に変わってしまったのだ。どちらが幸せだっただろうと考え始めていた。
何も知らずに居たほうが幸せだったかもしれない。その時には、奴隷市場で組織に買われて、今のような待遇で過ごせるとは思えない。自分は、生き餌でしかないのだ。晴海が調べた結果を教えてくれているが、兄が自分を助けに来るとは思えない。調べた結果を聞くまでもなく、助けに来てくれるとは思っていなかったが、晴海の話を聞いて、兄が生きていたとしても自分を助けに来るとは思えない。父親が生きていたとしても自分を助けてくれるとは思えない。
夕花は、今の自分の待遇は奇跡的な偶然が重なった結果だと思っている。
必然なのか、偶然なのか、だれにもわからないが、夕花と晴海には繋がりがあった。細い繋がりだったが、夕花にはそれさえも福音に思えた。
夕花は、温かい家族に包まれていたと思っていた。しかし、父と兄は犯罪に手を染めていた。母は知らなかったと、信じていたい・・・。が、それならばなぜ・・・。その思いが消えないのだ。勉強でもして気を紛らわしていないと、”なぜ”、”どうして”が頭の中でグルグルしてしまう。思考の渦が止まらないのだ。
夕花が安心して過ごせるのは晴海の側だけなのだ。晴海に命令されて、晴海と一緒に居るときが安心出来るのだ。失った物が戻ってくるように思える。
寝顔を見ながら、自分は兄に会ったときにどうするのか考えてみる。答えは出ない。簡単なのは、晴海に任せてしまうことだろう。夕花が望めば、晴海が最善の方法を考えてくれるだろう。夕花は、晴海に任せるという方法を、最初に思いついたが却下した。晴海に、自分の荷物まで持ってもらうわけには行かないと思っているのだ。すでに、晴海には返せない恩を受けている。これ以上、晴海の荷物にはなりたくないのだ。
能見に言われた資格を取得して、晴海に少しでも恩返しができればよいと考えている。
夕花は、モニターを流れる景色を眺めた。
高速道路を走っているのが解る。後ろから来た車がトレーラーを追い越していく。
晴海がベッドに身体を投げ出したときに、夕花は何気なく聞いてみた。
「晴海さん。トレーラーが速度を出さないのは聞きましたが、コミュニケーターよりも遅い速度で走る意味があるのでしょうか?」
自動運転の車をコミュニケーターと呼んでいる。自動運転技術の発達で、車を持つ人は減った。安全に目的地に到着できる技術なのだ。
「うーん。自動運転の車は、一定の速度で走っているよね?」
「はい」
「最高速度と最低速度は知っているよね?」
「はい。試験でやったので覚えています」
「うん。僕たちが乗っているトレーラーは、大型トラックに分類されて、今は最低速度で高速を走っているよね?」
夕花は、モニターに表示されている速度を見る。
「そうですね。最低速度の110キロです」
「コミュニケーターの殆どが、小型車か普通車だよね?」
「はい。最低速度が120キロで、最高速度は160キロです」
「うん。そうなると、トレーラーを尾行しようとしたら、最低速度で走っても10キロも早い。人が運転していれば、調整は出来るだろうけど、コミュニケーターでは無理だよね?」
「・・・。そうですね。大型トラックのコミュニケーターなんて無いですからね」
「そ。だから、トレーラーを尾行したかったら、大型トラックを使うか、人が運転するしかない。でも、人が運転していたとしても、110キロで走り続けるのは目立つよね?」
「そうですね。目立ってしまうと思います」
「うん。だから、礼登は最低速度で走っているのだよ。一般道なら信号をうまく使ったり、路肩に停めたりして尾行の存在を確認出来るけど、高速では最低速度で走るのが一番わかり易い方法だよ」
「そうなのですね。ありがとうございます」
夕花は、晴海と生活する中で、自分が運転する場面もあると思っている。
そのときに、コミュニケーターの尾行を見破る方法や、尾行を交わす方法の習得を考えた。礼登に教えてほしいと頼めば教えてくれるだろうとは考えていた。
晴海は、まだ寝ている。
疲れているわけではないが、足柄からは自分で運転するので、休んでおくほうが良いと思っていたのだ。
晴海は、夕花と少しだけ話をして、夕花が勉強し始めたのを確認してから、夢の世界に旅立った。
晴海は、幼いときの夢を見ていた。
とても懐かしくて、とてもあたたかくて、そして、とても残酷な夢だ。
望んでも手に入らなくなってしまった現実。
晴海は、六条の跡継ぎとして産まれたわけではない。妾腹なのだ。生まれてすぐに母親から取り上げられて、六条の本邸で育てられた。しかし、晴海が4歳になるときに本妻が跡継ぎを産んだ。その時に、本妻から晴海の出自が告げられた。晴海の生活は一変した。優しかった者たちが離れていった。幼いながら、自分ではどうにもならない力が働いていると認識したのだ。
しかし、初めて得た物もあった。母親の暖かさと家族という存在だ。本妻は、自分に子供ができたことで、晴海を育てる必要性を感じなくなった。晴海は、本当の母親に預けられて、六条の本邸にある離れで母親と二人だけの生活が始まった。
予備として晴海は必要なので、六条家からは放逐されなかった。将来的に、裏の仕事を任せる人員となり。能見の父親から教育を受け、能見を配下に加えられた。戦闘に関しても最低限の訓練を行った。本妻の子供を守るためだ。
本邸では、相変わらず肩身の狭い生活だが、離れに戻れば母親と一緒に過ごせる本当に幸せな時間を過ごせた。
晴海は、六条の権力も財力も必要なかった。
母親が居れば十分だったのだ。
晴海は、母親との居場所を守るために、必死に勉強して、必死に訓練を行った。一癖も二癖もある人員を集めて配下に加えた。
しかし、晴海が欲した物は手から零れ落ちてしまった。
弟が成人して、六条の後継者に指名される。そうなれば、晴海は用済みになり、本邸から出て、生活が出来る。
母親と一緒に生活が出来るようになる。
その寸前で夢が、叶わない夢になってしまった。
その日、晴海は当主からの命令で、敵対している者たちの情報を調べる為に能見を連れて外に出ていた。弟の成人を祝う宴が執り行われた。六条家は、晴海を除いて出席していた。晴海の代わりに母親が出席した。
そこで、本来なら弟が、跡継ぎに指名されるはずだった。晴海が居ない場所なので、晴海の代わりに母親が署名して、晴海が跡継ぎから外されることが決定する。
はずであった。
しかし、そこで惨劇が発生した。
参加者は一人残らず殺されたのだ。世間的には、晴海が左腕を失って生き残ったことになっているが、実際には、晴海はあの場所には行っていない。
晴海が、左腕を失ったのは、任務先でのことだ。担ぎ込まれた病院で、晴海は六条家が襲撃された事実を知った。母親は、宴には出席する義務がないので、無事だと思ったが、実際には本妻のいやがらせで晴海の代わりに出席するように言われて、出席していたのだ。その事実を晴海は、義手の装着手術後に聞かされた。
六条家は、晴海を残して全員が殺されてしまったのだ。
遺言や跡継ぎ指名の書き換えは、宴の後で能見が行う予定になっていた。したがって、法律的にも、六条の不文律でも、晴海が六条家を継ぐことに決まったのだ。
でも、晴海が欲しかったのは、六条家ではなかった。六条家を犠牲にしてでも、母親と過ごす時間が欲しかった。
晴海は失った者を埋めるために何かを求めた。母親であり、家族であり、友達であり、恋人であり、妻である者を・・・。
失った者の大きさに比べれば、これから失う物は小さく思えている。命さえも必要な物とは思えなかった。
必要なのか・・・。