奴隷市場
第十章 終幕
最終話 僕が愛した人
住職にお願いをする為に、夕花は晴海の元を離れた。
”ぶぅ~ぶぅ~ぶぅ~ぶぅ~”
間の抜けた呼び出し音がなる。
晴海の情報端末が鳴っている。
(持ってきてしまったようだ。戻って謝ろう)
夕花が、住職を探すのを止めて戻ろうとした時に、夕花の情報端末が鳴った。
(え?僕?だれ?礼登さん?)
「はい」
「よかった。夕花様。晴海様は、ご無事ですか?」
「え?今、私の母親のお墓に来ていて・・・」
「え?晴海様は!」
「何が有ったのですか?」
「佐藤太一が、晴海様と夕花様を探し出して成敗すると・・・。それで、お母上のお墓で・・・。まずい。急いで下さい!」
「はい」
夕花は、慌てて、靴も履かないで、外に飛び出す。
「晴海さん!」
夕花が見たのは、やつれてみすぼらしい男が、晴海に倒れかかる所だ。ナイフなのか、包丁なのか、わからないが、晴海の腹に刺さっていくのが解る。悲鳴をあげるまもなく、晴海と男の方に駆け出す。
晴海が、男を蹴飛ばすのが解る。男は、背中を鉄製の柵に打ち付けながら、何かを叫んでいる。奇妙な笑い声が、夕花の耳に響き渡る。
”パァーン”
銃声が墓地に鳴り響く。住職も飛び出してくる。
「は・・・。はる・・・み・・・。さん」
夕花が墓地に辿り着いたときには、硝煙の匂いと晴海と男から流れ出た血の匂いが支配している。
夕花が見たのは、額から血を流して、倒れている・・・。すでに死んでいると思える男だ。顔は奇妙に歪んでいる。笑っているようにも思える。
「う・・・そ・・・。ですよね?はる・・・みさん?おき・・・て、くれ・・・ますよ・・・ね」
夕花は、墓地に手を添えて倒れている晴海の側に近づけない。
遠くで鳴り響く、サイレンの音が、何を示しているのかわからない。
靴を履いていない足からは血が流れ出ている。跪いた膝は、石畳で傷ついている。晴海とのデートの為に着てきたスカートは、晴海が流した血液で汚れている。
「あ・・・・。あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!嘘!嘘!嘘!嘘!嘘!嘘!あぁぁぁぁぁぁぁぁ」
夕花は、晴海が墓地に置いた銃を、手に持って、佐藤太一に向けて引き金をひく。弾は出ないで”カチッ”と音がなるだけだ。何度も、何度も、何度も、引き金を弾く。
そして、夕花は自分の”こめかみ”に銃口を押し当てて、何度も何度も引き金を弾く。夕花は、”こめかみ”に銃口で焼けた跡を残して、意識を手放した。遠くから聞こえるサイレンと、誰かが自分と晴海を呼ぶ声を聞きながら・・・。
---
「ママ!」「ママ!早く!」
「晴貴。海華。急がなくてもいいわよ」
「だって、お墓参りが終わったら、伊豆に行くのでしょ!僕、今度は何の本を読もう」
夕花は、晴海の子供を産んだ。
男の子と女の子の双子だ。”晴海”から一文字ずつ貰って、名前を付けた。
晴海が、正義の使者『佐藤太一』に刺されてから、13年が経っている。子供たちも、12歳になった。
夕花は、伊豆の島では暮らしていない。
ヨットハーバーの近くで暮らしている。ヨットハーバーの管理をしながら生活をしているのだ。車は、晴海が使っていた物をそのまま使っている。
あの事件の後から、元六条の者たちとの接点はなくなった。
ただ、伊豆の島とヨットハーバーと晴海が持っていた物は、夕花が相続した。
相続の手続きが終了したと告げに来た、忠義を夕花は罵った。
全ての物は必要ない。晴海を、晴海を返してくれ・・・と・・・。
佐藤太一に情報を流したのは、結局わからなかった。ただ、佐藤太一が使っていた車からは、夥しい量の違法薬物が見つかった。誰から送られてきたのかわからない書類も見つかっている。書類の内容は、晴海が東京を裏から操っている人物で、晴海に苦しめられていると綴られていた。調べた所では、晴海の責任になっていた事柄の全てが、不御月が行ったことだった。なぜ、それを、佐藤太一が持っていて、晴海を殺そうとしたのかは本人が死んでしまっていてわからない。
ただ、わかったのは、夕花は、忠義にも、礼登にも会っていない。もちろん、晴海にも会えていない。
1ヶ月後に、夕花が伊豆の屋敷から出て墓地を見に行った時に、新しい墓碑銘が書かれていない墓が増えていた。
それから夕花は伊豆を出た。伊豆には、晴海の親族が眠る墓地を綺麗にする為に戻ってくるだけだ。屋敷は、最上階以外の場所の掃除をしに帰っている。13年経った今でも晴海との思い出が残る部屋には足を踏み入れることが出来ない。
子供たちは、屋敷を探検するのが好きだ。危険度が下がったことで、屋敷に仕掛けられていた罠を全て解除して、鍵が食堂に置かれていた。
研究施設に入るための通路は閉鎖されていた。夕花は、閉鎖されていると思ったが、立ち入る気持ちにもならないので、子供たちにも教えていない。
六条の蔵書は、屋敷に保管されている。
長男は、読書が好きで、読めそうな本を読んでいる。長女は、ママと一緒にお風呂に入るのが好きだ。
二人にとっては、伊豆の屋敷は遊びに来る場所になっていた。
ママが操舵するクルーザーで伊豆に来るのが楽しみなのだ。
「はい。はい。二人とも、お花を持って・・・。ママは、お水を・・・。え?」
「夕花」
夕花は、持っていた手桶を落として、墓地の前で微笑んでいる、男性に駆け寄った。
「え・・・。う・・・そ・・・。は・・・る・・・み・・・さん?」
「夕花。ゴメンね。またせちゃったね。ただいま」
「っ・・・・・」
「泣き虫だね」
「ママ。だれ?」「ママを泣かせた!」
男性は、跪いて双子の頭を撫でる。
「晴貴。海華。ママは好きか?」
「うん!」「もちろん!でも、ママ。パパが居なくて寂しがるの!」
「そうか、ゴメンな」
子供の頭に手を置いて、男性は立ち上がる。
「なんで?」
「夕花」
「はい」
「ただいま」
にっこりと笑う男性。
どうして、なんで?今までどうして・・・。
いろんな疑問が出ているが、夕花が選んだ言葉は、そのどれでもなかった。
「おかえりなさい。僕が愛した人」
「ただいま。僕の愛おしい人」
夕花は、晴海の胸に飛び込んだ。
泣き笑いをする顔を、晴海はしっかりと見つめて、二人は唇をあわせる。
「夕花。気持ちを教えて、全てが終わったら、夕花はどうするのか?」
「はい。晴海さん。僕は、晴海さんと、一緒に居ます。もう離しません。離れません」
「嬉しいよ。夕花。僕も、夕花と一緒に居るよ。13年間。待たせてしまって・・・。ごめんね」
「本当ですよ。晴海さん。晴貴。海華。晴海さんの子供です」
「うん。晴貴は、夕花に似ているね」
「はい。海華は晴海さんにそっくりです」
「ママ?」「ママ?」
「晴貴。海華。パパが帰ってきてくれたよ」
「え?パパ?」「本当に?パパなの?」
「そうだよ。晴貴。海華のパパだ。これからは、一緒にいような!駄目か?」
「駄目じゃ無いけど、もう、ママを泣かせない?」「ママを困らせない?」
「あぁ二人に約束するよ。もうママを泣かせたりしない。困らせたりしない。ずぅーと一緒だ」
「嘘をついたら駄目だぞ!」「嘘だったら許さないよ」
「大丈夫だ。ママと一緒に居る」
「パパ!」「パパ!」
双子を両手に抱えて立ち上がる晴海を、夕花は嬉しくて、夢でも見ているのかと思える気持ちだ。
(夢ではない。目の前に愛した人が居る。御主人様が居る。晴海さんが居る。抱きしめてくれた。キスをしてくれた。笑ってくれた)
止め処なく流れる涙で視界はぼやけるが、子供を抱き上げる、晴海を夕花は愛おしく見つめる。
「晴貴。海華。お墓参りをしよう。ママのママに、報告をしないと怒られる」
「うん!」「わかった!」
子供たちが手慣れた手付きで、お墓を掃除し始める。
「晴海さん」
「夕花。ゴメンね。本当に、待たせてしまったね」
「いえ・・・。なんで?」
「僕は病院に運ばれた時には、脳死に近い状態だったようで、すぐにコールド処置が執り行われた」
「はい」
「忠義と礼登は、俺が殺されたと一斉に皆に伝達して、残っている不安分子を一気に潰した」
「え?」
「僕に何かあった時に、夕花に遺産が行くようになっていて、それを狙ったクズが湧き出るのを防ぐように頼んでおいた」
「それで・・・」
「でも、僕はコールド状態で命を繋いだ。ただ、血を流しすぎて、身体の一部が不完全な状態になってしまった」
「え?それでは?」
「俺の体内は、忠義と礼登から受けた臓器が入っている」
「え?」
「二人は、自ら命を断った。俺を生かすために・・・。墓は、伊豆にあるそうだ。この後、伊豆に行こうと思う」
「それじゃ・・・。新しいお墓は、晴海さん・・・じゃなくて・・・」
「あぁ泰史に依頼していたようだ。墓碑銘を刻まないで埋葬して欲しいと言っていたようだ」
「そんな・・・」
「13年かけて、俺は起きた。臓器移植は一度に出来なかった。コールド状態では、手術には耐えられるが、適合を確認するのに時間がかかったようだ。新見と城井が秘密裏に僕の手術を行っていた。5日前に目覚めて、城井から事情を聞いた。今日、夕花が、墓参りに来ると聞いて、お義母さんに謝罪と報告をして待っていた」
「そ・・・」
「それでも、僕は、生きたかった。夕花と一緒に生きていたかった。エゴかもしれない。忠義と礼登の命を奪った」
「晴海さん・・・。僕は、晴海さんが生きていた事が嬉しいです。世界中の人間が死んでも、晴海さんが生きていてくれて・・・。僕は、僕は・・・」
「二人で業が深いな」
「そうですね」
「簡単に死ねないな」
「はい。もう、勝手に死なせません」
二人は、手を繋いだ。
夕花にとっては、13年ぶりの晴海の温かい手の感触を・・・。
晴海にとっては、5日ぶりの夕花の温かい手の感触を・・・。
「ママ!」「パパ!」
双子の声で、二人はお互いの顔を見て笑った。
安心できる場所が戻ってきた。心からの笑い声が響いた。