『封魔の城塞アルデガン』
第2章:洞窟上層その2
「洞窟に入ればそなたにも敵の気配が感じ取れるようになろう、それもしだいに強く。その意味はわかるな?」ゴルツのその言葉は、アラードにはなんの容赦もないとしか思えなかった。
リアはうなづいた。だがアラードが思ったとおり、その顔から血の気が引いていた。
「敵にとってもそなたの気配が感じやすくなる。単に場所が近くなるだけではなく、そなたの転化が進むからでもある。そなたはやがて敵の所在をおぼろげに感じ取れるようになる。転化が進めば進むほど敵の所在や様子ははっきりとわかるようになろう」
ゴルツの緑色の双眸が鋭い光を帯びた。
「はっきり申しておく。わしの目的はアルデガンを襲った吸血鬼を滅することじゃ。アルデガンを預かるわしが洞窟に赴く以上、それが最優先となる。そなたがどうなるかはあくまで結果じゃ。わかるな?」
「……わかっています」
リアは応えた。色を無くした唇を固く結び、ゴルツの目を正面から見つめて。
だが、アラードは黙っていられなかった。
「あまりにひどいお言葉ではありませんか、閣下! リアのことは二の次だとおっしゃるんですか!」
いいつのるアラードを、ゴルツはじろりと見た。
「いかにも」
ゴルツが立ち上がった。二人は見下ろされる形になった。
「そなたの思いは当然のことではある。だが吸血鬼が相手では、その思いこそが命取りとなりかねぬ。
二人ともアザリアの話を聞いたであろう? 自ら親友であった者を殺めるしかなかったというのを」
二人はうなづいた。
「そもそも吸血鬼は他の魔物とは大きく異なる。他の魔物はつまるところ生き物じゃ。亜人にせよ魔獣にせよ生き物としての理の中にある。結局は生きるために我ら人間を食おうとする」
リアがうなづいていた。魔獣の魂を感じたという身には思い当たる話なのかとアラードは思った。
「だが吸血鬼は生き物の理には収まらぬ存在じゃ。むしろ魂への呪縛が肉体を不死たらしめていると捉えるべきであろう。いくら斬り刻んでも死なず、たとえ炎で焼き尽くしても復活してしまう度を超した不死の力は生命ではなく呪いの範疇にあるもの。ゆえに魂を呪縛する不死の力を砕く解呪の技でしか倒せぬのじゃ」
ゴルツの口調も、そんなリアに言い聞かせるようだった。
「そしてかの恐るべき血への渇望。死ぬことができぬ存在である以上、他の魔物が人の血肉を食らうのとは意味あいが違う。
犠牲者を転化させる力を発揮させるためにこそ与えられた渇きであろう。自らが生き延びるためでなく他の者を自らと同じ身に化生させるために。これまた呪いの範疇にあるとしかいえぬ」
ゴルツの視線がリアからアラードに移された。
「まことに恐るべき呪いじゃ。そしてアルデガンにいる者、特にそなたのような者はとりわけこの呪いの連鎖に陥りやすい」
「どうしてです? なぜ私がそんな呪いに陥りやすいと!」
アラードはゴルツのまなざしが自分に向けられたことに怒りを覚え声を荒げた。だがゴルツは重々しく続けた。
「人を守るため命がけで魔物と戦う。そなたたちはこの地に生まれ、その使命を叩き込まれて育ったはずじゃ。アルデガンの外で人間と戦ったことのある者はいまやほとんどおらぬ。それゆえあからさまに魔物の姿をした相手であれば勇敢に戦える反面、人の姿をした者であれば刃を向けることさえ意識するしないにかかわらず抵抗がある。かなりの手練れでも技が鈍る。
当然じゃ。人と戦うことが使命ではないのだから。守ることを使命とする身であれば、殺す訓練などしてもおらぬのだから。
ましてそれが身近な者の姿をしていれば、昨日まで共に戦った仲間であれば、よほどの覚悟がなければまともに戦えぬ。その力もさりながら吸血鬼はアルデガンの者にとってまことに恐るべき難敵!」
ゴルツはアラードの目を正面から見つめた。
「アザリアほどの者であればこそ友を送ることができたのじゃ。病に伏した己の身代りにさせたという思いに苛まれ、友の恐怖と絶望に寄り添い我がものとして死力を尽くし救おうとしたにもかかわらず力及ばず、全ての希望が潰えた絶望に泣き叫びながらもな……。さもなくば一瞬の迷いを突かれ牙にかかったはず。
アザリアが申したであろう。そなたにリアを殺す覚悟があるかと。アザリアの申すのはそれほどの意味じゃ。そなたにできることではあるまい?」
ゴルツの言葉に、アラードはなにもいえなかった。
だがゴルツの視線が、ふとアラードから離れた。
「いや、それではあまりにそなたに酷か。二十年前でさえそんな者はいくらもおらなんだのだから……」
「だからこそわしは吸血鬼と戦うことも、アルマの事件からはさらわれた者を救いにいくことも禁じた。だが、その直後にまたも吸血鬼にさらわれた者が出た。そして禁じられたにもかかわらずさらわれた者を救おうとして洞窟に単身乗り込んだ者もいた」
「ガラリアン……」
リアのつぶやきにゴルツはうなづいた。
「アザリアから聞いたか。では結果も知っていよう。ガラリアンは凄まじい力で出会う魔物を片端から焼き殺しながら洞窟半ばまで進んだが、結局さらわれた者も吸血鬼も見つけることさえできなかった。あれだけの力をもってしても。
しかも彼を連れ戻すために後を追ったアザリア共々傷を追い、自身はアルデガンを出奔し、アザリアは呪文を唱えれば死ぬ身となった。一人の愚行が二人もの手練れを失わしめた」
「閣下が禁じなければ、協力して助けにいけばなんとかなったかもしれないじゃないですか。閣下は助けにいく者の気持ちなんかどうでもいいんですか? しょせん他人事なんですか?」
一瞬、ゴルツの激しい眼光がアラードを射すくめた。
「他人事と申すか! さらわれたのは我が娘じゃ!」
言葉を失ったアラードを見下ろすゴルツの顔は、とてつもなく厳しかった。
「わしは我が娘の救助を禁じた。被害が増えるのがわかりきっている以上それしかなかった。
アルデガンの長ならば当然のこと。娘であろうと二の次じゃ。今度とて同じこと。
いよいよとなればそなたには任せぬ。わしに委ねよ!」
血も涙もないのか! それにアルデガンのためとかいいながら復讐が目的じゃないか。リアを個人的な目的を果たす道具にしているだけじゃないか。それでリアのことは二の次だなんて!
思い出しただけで反感がつのったそのとき、リアの哀しげな、不安げな声が聞こえた。
「アザリア様はどこ? まぶしくて見えないわ……」
「あそこにおられるじゃないか。あの城壁の上に」
アラードは陽光の中ひときわ目立つ白い人影を指差した。
「見えないなんて……」おかしいといいかけて息をのんだ。転化の兆候がすでに顕れている!
アラードは思わず振り返った。ゴルツが厳しい表情でリアを見つめていた。いざとなればゴルツは言葉のとおりいつでも彼女を殺すに違いない。なんのためらいもなく!
瞬間、アラードの心が定まった。
なにがなんでもリアを守らなければ。死なせてなるもんか!
そのとき、鐘楼の鐘が時を告げた。
「刻限じゃ」ゴルツがいった。
「アラード、そなたは先頭に立て。わしはしんがりじゃ。リアを真ん中にはさんで進む」
城壁の上の人々に見送られ、ついに彼らは洞門をくぐった。
リアはうなづいた。だがアラードが思ったとおり、その顔から血の気が引いていた。
「敵にとってもそなたの気配が感じやすくなる。単に場所が近くなるだけではなく、そなたの転化が進むからでもある。そなたはやがて敵の所在をおぼろげに感じ取れるようになる。転化が進めば進むほど敵の所在や様子ははっきりとわかるようになろう」
ゴルツの緑色の双眸が鋭い光を帯びた。
「はっきり申しておく。わしの目的はアルデガンを襲った吸血鬼を滅することじゃ。アルデガンを預かるわしが洞窟に赴く以上、それが最優先となる。そなたがどうなるかはあくまで結果じゃ。わかるな?」
「……わかっています」
リアは応えた。色を無くした唇を固く結び、ゴルツの目を正面から見つめて。
だが、アラードは黙っていられなかった。
「あまりにひどいお言葉ではありませんか、閣下! リアのことは二の次だとおっしゃるんですか!」
いいつのるアラードを、ゴルツはじろりと見た。
「いかにも」
ゴルツが立ち上がった。二人は見下ろされる形になった。
「そなたの思いは当然のことではある。だが吸血鬼が相手では、その思いこそが命取りとなりかねぬ。
二人ともアザリアの話を聞いたであろう? 自ら親友であった者を殺めるしかなかったというのを」
二人はうなづいた。
「そもそも吸血鬼は他の魔物とは大きく異なる。他の魔物はつまるところ生き物じゃ。亜人にせよ魔獣にせよ生き物としての理の中にある。結局は生きるために我ら人間を食おうとする」
リアがうなづいていた。魔獣の魂を感じたという身には思い当たる話なのかとアラードは思った。
「だが吸血鬼は生き物の理には収まらぬ存在じゃ。むしろ魂への呪縛が肉体を不死たらしめていると捉えるべきであろう。いくら斬り刻んでも死なず、たとえ炎で焼き尽くしても復活してしまう度を超した不死の力は生命ではなく呪いの範疇にあるもの。ゆえに魂を呪縛する不死の力を砕く解呪の技でしか倒せぬのじゃ」
ゴルツの口調も、そんなリアに言い聞かせるようだった。
「そしてかの恐るべき血への渇望。死ぬことができぬ存在である以上、他の魔物が人の血肉を食らうのとは意味あいが違う。
犠牲者を転化させる力を発揮させるためにこそ与えられた渇きであろう。自らが生き延びるためでなく他の者を自らと同じ身に化生させるために。これまた呪いの範疇にあるとしかいえぬ」
ゴルツの視線がリアからアラードに移された。
「まことに恐るべき呪いじゃ。そしてアルデガンにいる者、特にそなたのような者はとりわけこの呪いの連鎖に陥りやすい」
「どうしてです? なぜ私がそんな呪いに陥りやすいと!」
アラードはゴルツのまなざしが自分に向けられたことに怒りを覚え声を荒げた。だがゴルツは重々しく続けた。
「人を守るため命がけで魔物と戦う。そなたたちはこの地に生まれ、その使命を叩き込まれて育ったはずじゃ。アルデガンの外で人間と戦ったことのある者はいまやほとんどおらぬ。それゆえあからさまに魔物の姿をした相手であれば勇敢に戦える反面、人の姿をした者であれば刃を向けることさえ意識するしないにかかわらず抵抗がある。かなりの手練れでも技が鈍る。
当然じゃ。人と戦うことが使命ではないのだから。守ることを使命とする身であれば、殺す訓練などしてもおらぬのだから。
ましてそれが身近な者の姿をしていれば、昨日まで共に戦った仲間であれば、よほどの覚悟がなければまともに戦えぬ。その力もさりながら吸血鬼はアルデガンの者にとってまことに恐るべき難敵!」
ゴルツはアラードの目を正面から見つめた。
「アザリアほどの者であればこそ友を送ることができたのじゃ。病に伏した己の身代りにさせたという思いに苛まれ、友の恐怖と絶望に寄り添い我がものとして死力を尽くし救おうとしたにもかかわらず力及ばず、全ての希望が潰えた絶望に泣き叫びながらもな……。さもなくば一瞬の迷いを突かれ牙にかかったはず。
アザリアが申したであろう。そなたにリアを殺す覚悟があるかと。アザリアの申すのはそれほどの意味じゃ。そなたにできることではあるまい?」
ゴルツの言葉に、アラードはなにもいえなかった。
だがゴルツの視線が、ふとアラードから離れた。
「いや、それではあまりにそなたに酷か。二十年前でさえそんな者はいくらもおらなんだのだから……」
「だからこそわしは吸血鬼と戦うことも、アルマの事件からはさらわれた者を救いにいくことも禁じた。だが、その直後にまたも吸血鬼にさらわれた者が出た。そして禁じられたにもかかわらずさらわれた者を救おうとして洞窟に単身乗り込んだ者もいた」
「ガラリアン……」
リアのつぶやきにゴルツはうなづいた。
「アザリアから聞いたか。では結果も知っていよう。ガラリアンは凄まじい力で出会う魔物を片端から焼き殺しながら洞窟半ばまで進んだが、結局さらわれた者も吸血鬼も見つけることさえできなかった。あれだけの力をもってしても。
しかも彼を連れ戻すために後を追ったアザリア共々傷を追い、自身はアルデガンを出奔し、アザリアは呪文を唱えれば死ぬ身となった。一人の愚行が二人もの手練れを失わしめた」
「閣下が禁じなければ、協力して助けにいけばなんとかなったかもしれないじゃないですか。閣下は助けにいく者の気持ちなんかどうでもいいんですか? しょせん他人事なんですか?」
一瞬、ゴルツの激しい眼光がアラードを射すくめた。
「他人事と申すか! さらわれたのは我が娘じゃ!」
言葉を失ったアラードを見下ろすゴルツの顔は、とてつもなく厳しかった。
「わしは我が娘の救助を禁じた。被害が増えるのがわかりきっている以上それしかなかった。
アルデガンの長ならば当然のこと。娘であろうと二の次じゃ。今度とて同じこと。
いよいよとなればそなたには任せぬ。わしに委ねよ!」
血も涙もないのか! それにアルデガンのためとかいいながら復讐が目的じゃないか。リアを個人的な目的を果たす道具にしているだけじゃないか。それでリアのことは二の次だなんて!
思い出しただけで反感がつのったそのとき、リアの哀しげな、不安げな声が聞こえた。
「アザリア様はどこ? まぶしくて見えないわ……」
「あそこにおられるじゃないか。あの城壁の上に」
アラードは陽光の中ひときわ目立つ白い人影を指差した。
「見えないなんて……」おかしいといいかけて息をのんだ。転化の兆候がすでに顕れている!
アラードは思わず振り返った。ゴルツが厳しい表情でリアを見つめていた。いざとなればゴルツは言葉のとおりいつでも彼女を殺すに違いない。なんのためらいもなく!
瞬間、アラードの心が定まった。
なにがなんでもリアを守らなければ。死なせてなるもんか!
そのとき、鐘楼の鐘が時を告げた。
「刻限じゃ」ゴルツがいった。
「アラード、そなたは先頭に立て。わしはしんがりじゃ。リアを真ん中にはさんで進む」
城壁の上の人々に見送られ、ついに彼らは洞門をくぐった。